(今回が初出 執筆日:1999日01月15日)
そこはとても狭い世界だった。
でも私にとってすべてだった。
私には父様と母様とお兄様がいる。
でも誰も私を外に出してくれないの。
私は二階の小部屋で暮らしている。
朝起きて、下の食堂で家族みんなで朝食を食べるの。
私がもっと小さかったころにはメイドが何人かいたはずなの。
でも今はひとりしかいない。
彼女の名前はメアリ。ここに来て五年が経つわ。
家のすべての世話を彼女がするの。
誰も手伝ったりしないわ。だってそれがメアリの仕事なんですもの。
母様は朝食が終わると、私に絵本を読んでくれる。
毎日毎日、繰り返し繰り返し、同じ絵本を読んでくれる。
だから私は飽きちゃって、聞いているふりをしながら外の世界のことを考えているの。
父様はどこかへお出かけになるわ。
夜にならないと帰って来ないの。
お兄様は「学校」という場所へ行くと言って、毎日外へ出てしまう。私を置いて。
前に一度「連れていって」とおねだりしたのに、お兄様は笑って「また今度」と言って誤魔化したの。
意地悪だわ。
昼はメアリの作った昼食を、母様と一緒に食べるの。
夕方になれば、お兄様が帰ってくる。
そして私たちはキスをするの。
ちゃんと唇にするのよ。
父様や母様には内緒。
ふたりだけの秘密。
夜になると父様が帰って来て、夕食を食べるの。
そして夜中にはおやすみ……。
毎日毎日変わることなく、この生活が続く。
ときどき飽きるわ。でもわがままは言えないの。
だって、わがままがひどすぎると、お兄様がキスしてくれなくなるから。
朝、目が覚めてから、出窓を開けたの。
外からはひんやりとした、おいしい空気が流れ込んできた。
私はベランダに飾られてある、さまざまな植物たちを育てることも楽しみのひとつとしてる。
どうしてここから向こうに行ってはいけないのかしら。
ベランダから身を乗り出して、ようく外を見た。
手すりが滑って、身体が斜めになった。そのままベランダを乗り越えて、私は落ちて行った。
がしゃん、と音がした。
どこも痛くなかった。
でも手足が動かなくなっていた。
ああ、早く誰か気づいて。動けないの。
空がよく見えるわ。太陽がすごく輝いている。
その光をさえぎるように、メアリが上から覗き込んできた。
「どうなさいましたの、お嬢様?」
メアリは落ち着いた様子で言葉をかけてきた。
「身体が動かないの。私、どうなっているの?」
「手は、そちらに落ちております。足は、そこで砕けてしまいました」
メアリの指先が遠い先を差した。
動けない私には見ることが出来なかった。
「これから回収して、奥様のご判断をあおがなくては」
メアリは無機質にそう呟いて、私の手足を拾って歩いた。もちろん身体も。
そして私は居間へと運ばれた。
母様はとても困った顔をしてらした。
「こんなに簡単に壊れてしまうなんてねぇ」
がっかりしている。
私を見て母様ががっかりするなんて。
辛くなって涙が出て来た。
ポロポロと頬を涙が伝っても、拭うための指がなかった。
メアリがにっこりと笑った。
「まだ坊ちゃんがいらっしゃるじゃないですか」
「そうね」
母様はあっさりと頷いて、無感動に私を見た。
「処分してちょうだい」
「かしこまりました」
母様の冷たさが辛くて辛くて、私はずっと泣き続けた。
メアリに何かの部品のように運ばれながら、ずっと泣き続けた。
「そんなにお泣きになると、錆びてしまいます」
「私は何で出来ているの?」
どうしても知りたくてメアリにきいた。
「これからお嬢様はリサイクルの機械にかけられます。ですから、錆びてしまわれては困るのです」
「お兄様に会わせてちょうだい。お願いだから」
精一杯ちからを込めた。このまま私が他の何かにされてしまう前に、お兄様に一目会いたい。
一生懸命頼んだわ。だからとうとうメアリも諦めたようなため息をついて、私をお兄様のお部屋に運んでくれた。
「学校」からお兄様が帰って来た。
壊れた私を見て、つまんなそうな顔をした。
「なぁんだ、もう壊れちゃったんだ」
私はまた泣いた。
お兄様も母様と同じだったのね。
お兄様の部屋からメアリに運ばれている時、私は必死で頼んだの。
「どうかお兄様を壊して」
「そのような権限は私にはございません」
「父様と母様も壊してほしいの。お願い」
メアリがちょっと考えていた。
「そうね。そろそろ潮時かしら。私も少し飽きちゃったし」
それを聞いて私はびっくりした。
「メアリが父様と母様とお兄様を作ったの?」
メアリが微笑んだ。こんな優雅な笑顔、初めて見たわ。
「そしてあなたもよ」
その夜、私を含めた家族四人は全部壊されてしまった。
処分され、リサイクルの機械にかけられて、新しい人形になった。
だから新しい私は、私であって私じゃないの。
父様と母様とお兄様の要素をそれぞれ持った、新しい私になったの。
そして今、私たちはお店に並べられている。
「あなたの希望の記憶、性質を設定できます。家にひとつでもあれば便利だと思いますよ」
お店の主人がお客に説明していた。
「この間のお嬢さんなんか、お人形ごっこが大好きでねぇ。豪邸で暮らすお金持ちのうちで働くメイドの役をやって遊びたいと言って、屋敷ごと買って行ったんですよ。金持ちのやることは豪快ですねぇ」
買い手に渡される時に、私たちの記憶はすべて塗り変えられてしまうの。
そうお店の主人が言っていたわ。
新しい家の誰かとなって、人形であることを忘れて生きてしまうのね。
それが幸せなのか不幸なのか、私にはわからない。
新しいお客さんが来たわ。
私を指差している。
「なるほど、その設定ならほんの十分で処理できますよ。少々お待ちください」
お店の主人が迫って来て、私の頭と何かの機械をつないだ。
意識が……消えて行く。
こうして全部、忘れちゃうのね……と思うと、少し寂しかった。
END