(初出:note 執筆日:2016年09月08日)
「沖に行くと急に足を引っ張られるらしいぜ。この海の伝説だってさ」
脅しのように友達からそう言われ、俺は平常心を装いながらも内心ではびびっていた。
海に来てこれから泳ごうって時に、なんつー話をするんだこいつ。
しかも今日は快晴の青空じゃなく、空一面に薄く白い雲がかかっている。
どんよりとした薄暗さが漂うこんな日に、そんな不吉な話を聞かされたらますます信憑性が増すじゃねーか。
そんな話、信じてたまるかよ。どうせ冗談だろ。反発するように頭の中で叫んでから、海へと入った。
一緒に遊びに来た連中はみんな楽しそうにはしゃぎ、泳がない奴らは砂の上を走り回りながらビーチボールを弾き合っている。
ふと気づくと、ひとりだけすでに沖にいた。泳ぎが得意な奴だ。
その彼が、急にグンッと下に引っ張られた。
そのまま浮上しない。
俺は青ざめた。
目撃したのは俺だけなのか、周囲を見回しても誰も騒がない。
楽しそうな声ばかりが響いている。
反射的に俺は泳ぎ、沖へと向かった。あいつが消えた場所まで行く。
彼はどこにもいなかった。
海の中に潜ってみても、それらしい人影が見つからない。
けど、違うものがいた。
サメではなかった。海にいて当然の生き物とは、明らかに違うものがいた。
髪の長い女だった。
長い髪が顔にまとわりついて、容貌がわからない。
ただ、鋭い眼差しだけが、ギラギラと光っている。
俺は悲鳴をあげた、つもりだった。
女の手がありえない長さに伸びて、俺の足首をつかむ。
すさまじい力で、ぐいぐいと引っ張られた。人間とは思えない力の強さ。
すごい勢いで海の底に向けて引き込まれ、そこで俺の意識は途絶えた。