DESIRE 32

(初出:旧サイト 執筆日:2000年07月30日)

 鮎川の弱点がわかった。
 紀ノ瀬祐汰だ。
 彼に色々なことを知られるのを、鮎川は嫌がっている。
 どうしてだろう、と思う。
 鮎川が恋愛感情だと思い込んでるのは、僕にだった。鮎川にとって、紀ノ瀬はたぶん、ただの友達なんだろう。
 それなのに、紀ノ瀬は鮎川の弱点。
「……僕にしてることを、紀ノ瀬がされてたらどうする? 嫌だろ? 人間扱いされてないんだ。こんな風に縛られて、強姦されて」
「そんなのありえないから、考えねぇよ。悟瑠はカラダ開くように出来てるだろ? 自分から売るぐらいなんだから。どうせ売ってるものなんだから、俺が抱いてもいいの。もう、相沢んとこには返さねえよ。このまま連れて帰って、閉じ込めちゃうんだ」
 言葉の後半は、少し陶酔してた。
 ザワッと鳥肌が立つ。
 どうしたらいい?
 どうしたら逃げられる?
「閉じ込めるのなんか、不可能だろ。僕は仕事してるし、帰って来なけりゃ相沢が不審に思う。たくさんの人が、僕の不在をおかしいと思って探すよ」
「捜索願?」
 鮎川が笑った。
「相沢は知ってる。手紙も交通事故も、犯人がおまえだってこと。紀ノ瀬も知ってる。このまま誘拐したって、確実に僕は見つかるよ」
「……なんか、ムカつくなぁ」
 鮎川が近づいて来た。
「おまえさ、結構言いたいこと言うよな。すげぇムカつく」
 首に手がかかった。
「殺したくなってくるよ」
「おまえが犯罪者になったら、紀ノ瀬が悲しむんじゃない? それでも僕を殺す?」
 負けられない。
 負けたらアウトだ。
 僕は必死だった。
「祐汰が泣こうがどうしようが、どうでもいいんだよ。俺が欲しいのはおまえなの。おまえのカラダと、心なの。ここ数年かけて、ずっと俺はそうなんだよ」
 下腹部から、かけられていたらしい服を取り払われた。鮎川の手が、いきなり僕の急所をつかんだ。僕はぎゅっと歯を食いしばって耐えた。
「俺は、悟瑠とセックスしたかったんだよ。ずっと。何年も。それ以外、男に欲情したことなんかないんだよ。悟瑠だけだろ。なんでそれが駄目なんだよ」
 鮎川の手が無造作に動き、快感が駆けのぼってきた。駄目だとわかっていても、身体は勝手に反応した。
「や……っ、嫌だっ……やめろっ」
「手加減なんかしてやらねーよ」
 足を持ち上げられ、開かれた。もう駄目だと思った。
 僕は、鮎川を苛立たせて、煽っただけだったんだろうか。
 身体の奥深くに、ねじ込まれる感触。反射的に声があがる。
 これで三度目の、強姦だった。

 意識が浮上した時、僕はどこかの部屋にいた。
 身体の奥がずきずきとする。
 裸のままベッドに寝かされていた。ゆっくりと上半身を起こすと、部屋の中に誰もいない。
 とにかく逃げなきゃいけなかった。
 衝撃受けてる時間も、泣いてる時間もなかった。
 普通の部屋だから、タンスがある。開けてみると、男物の服が入っている。鮎川に誘拐されたんだから、鮎川のだろうと思った。鮎川の服を着ることに抵抗はあったけど、他にないから仕方がない。
 部屋のドアから出るのは得策じゃないから、窓の方へ歩いた。
 閉ざされていたカーテンを開けると、外は真っ暗だ。窓を開けて、下を見た。
 ぐらりとした。
 下は遠かった。
 足をかけるところはないのかと、目を凝らして探してみた。少しのでっぱりがある。
 僕は窓枠に足をかけた。
 身体のあちこちが痛いし、下半身も痛むけど、そんなこと言ってられない。
 慎重に、でっぱりに足を乗せ、窓枠につかまった。下に行かなくても、せめて隣でもいい。どこか違う場所へ……。
 そう思って無理矢理移動しようとしてたら、部屋のドアが開いた。
 ギョッとして目を見開いたのは、鮎川だった。
「なにやってんだ、おまえっ」
 僕は慌てた。早く逃げようと、他のでっぱりを探し、足をかけようと……。
「……っ!」
 手がすべった。
 ガクンッと身体が落ちた。それが途中でいきなり止まった。見上げると、鮎川がいた。僕の手をつかまえていた。
「バカッ! なに考えてんだ、おまえっ。ここ、五階だぞ、死ぬぞっ!」
 そんなに高いとは思わなかった。
 真っ暗で高さが判断できなかった。
 鮎川の手につかまってるんだと思ったら、気分が悪くて逃れたかった。いっそのこと、死んだ方がマシだと思った。死のうと思った。
 手を振り払おうと頑張った。鮎川はさらに驚いたようで、今度は両手でつかんだ。少し身体が上方向に動いたのは、鮎川が引っ張ったからだった。
「離せよっ!」
 僕は叫んだ。
 鮎川は、なぜか泣きそうな顔をした。
「嫌だっ!」
 鮎川はなぜか必死で、力いっぱい引き上げようとする。
「離せよっ、死ぬんだから!」
 さらに叫ぶと、ますます鮎川は必死になった。僕の片腕を両手で引っ張りあげ、肩まであがると、垂れ下がっている方の腕の脇に一瞬で腕を差し入れて、そのままグイッと引っぱり上げた。
 僕の身体の位置が床の上に来ると、鮎川は激しく息を切らしてへたり込んだ。僕は震えて言うことをきかなくなった身体を起こし、もう一度窓に向かおうとした。いきなり背後から羽交い締めにされ、鮎川がしがみついてきた。
「悟瑠っ!」
 床に仰向けに押しつけられ、目の前で鮎川が動揺した顔をしていた。
 僕は急に力が抜けて、もう抵抗はしなかった。
 僕の上にのしかかっていた鮎川は、いきなり泣きだした。僕は驚いて、しばらくその顔を眺めていた。どうして彼が急に泣くのか理解できなかったせいか、妙に冷静に見ていることができた。
「……そんなに、俺、嫌?」
 止まらない涙をそのままに、鮎川が訊いてきた。
「死にたくなるぐらい、嫌?」
 僕は答えなかった。もう、そんな気力も体力もなかった。

 鮎川は、指一本、僕には触れてこなくなった。
 部屋の中で放心している僕を、少し離れたところで見てるだけだった。
 考える気力をなくした僕は、そんな鮎川の視線を感じてたけど、危機感はなかった。
 今度触れたらまた僕が飛び降りようとすると思い込んでるのか、何もしてくる様子はない。
 今ごろ相沢はどうしてるだろう……ぼんやりと思う。
 心配してるかな。
 どうしよう。連絡したいな。
 松葉づえだから迎えに来てもらうのは無理だけど。
「……なぁ、悟瑠。おまえ相沢のどこが好き?」
 鮎川がいきなり問いかけてきた。僕は少し、顔をあげた。
「全部」
 即答すると、鮎川が笑った。苦笑いだった。
「相沢の全部なんか知らねえだろ? 他人を理解しつくすことなんか出来ないんだよ」
「全部だよ。相沢の存在そのものが僕にとっては必要だから」
 淡々と答えた。鮎川がわずかに眉をしかめた。
「おまえ、その感情の欠落した人形みたいな話し方やめろよ」
 そんなこと言われても、今の僕には他の話し方はできない。
 僕が黙り込むと、鮎川も黙り込んだ。少し、苛々してるのが気配でわかった。
「……俺は、駄目なの?」
「うん」
 即答した。
「俺がこんなにおまえのこと好きでも、駄目なの?」
「うん」
 僕は淡々と返事をした。
「他の誰に好かれても、僕は駄目なんだ。僕が好きなのは相沢だけだから。他の誰も代わりになんてなれないんだ。だから、僕は相沢以外の誰のものにもなれない」
 鮎川が唇を噛んでいた。悔しいのかもしれない。悲しいのかもしれない。
 でも僕には鮎川がどう思っているのか、そこまで深くは読めなかった。
 ……帰りたい。
 相沢のところに帰りたい。

 刻々と時間が経過していく。
 奇妙な緊張感。鮎川はさっきからずっと僕を見ている。でも何も言わない。
 僕は……それを気配で感じ取りながら、フローリングの床を眺めてた。
 今動いても、逃げられない。さっきの勢いはもうなくて、飛び降りることもできない。
 まるで三すくみの状態だ。僕が逃げると鮎川がつかまえる、鮎川が何かしようとすれば僕が窓から飛び降りようとする、鮎川が席を外せば僕が逃げる。
 すべてを阻止するためには、どちらも動かないこと。
 こんな状況なのに、人間の身体っていうのは必ず空腹感が来る。それに気づいて僕は少し笑いそうになった。
 いきなり玄関の方から呼び鈴が鳴った。鮎川はそれを無視した。呼び鈴はしつこいほど鳴り続け、鮎川は無視し続けた。
 僕が立ち上がろうとすると、「動くなっ」って一喝された。しぶしぶ座り直す。
「……このままずっとここにいるわけにはいかないんだよ。腹だって減るし、風呂にだって入りたいし……誰にも会わないわけにもいかないし」
「諭すようなこと言うな」
 僕は口をつぐんだ。
 呼び鈴はまだ鳴っている。ここまでしつこいからには、紀ノ瀬か相沢だと思う。でも相沢は松葉づえだから……有力なのは紀ノ瀬?
「……出たら?」
 僕が言うと、鮎川に睨まれた。
 玄関が静かになった。……諦めて帰っちゃったのか。
 落胆する僕を、忌々しそうに鮎川が見る。ふたりきりでいるのを回避したい僕に、苛立つのだろう。
 しばらく互いに黙り込んだまま、数分過ぎた。……いきなり、玄関の方で、鍵を開ける音がした。
 驚いたのは僕だけじゃなかった。鮎川は跳ねるように立ち上がって、慌てて玄関に向かった。僕は動かなかったけど、窓枠の向こう側に逃げたい衝動には包まれた。
 玄関の方で言い合う声が聞こえた。僕は耳を済ませる。……紀ノ瀬祐汰の声だ。
 ホッとした。助かった……と心の底から思った。急に涙腺が緩んで、涙が出そうになった。
「やっぱり、ここにいたんだね。管理人さんに嘘ついて鍵もらってきたんだ」
 紀ノ瀬の顔が覗いて、僕を見つけるなりそう言った。
「帰れっ。なんで勝手に鍵なんか開けてんだよっ」
 鮎川が、強引に追い出そうと紀ノ瀬を引っ張った。それを押し退けようとしながら、紀ノ瀬は僕に向かって言った。
「相沢が帰ってる時間なのにきみがいないって言ったんだ。思い当たるのはここしかなかった。彼は松葉づえだから迅速に行動できないし、今は一番安静にしてなきゃいけない時期だから、代わりに俺が来た。帰ろう。鮎川は俺が足止めするから」
「勝手なことばっかり言ってんじゃねーよっ。なんなんだよ、おまえっ」
 紀ノ瀬が鮎川を羽交い締めにして、壁に押しつけた。
「早くっ」
 じたばたともがく鮎川を必死で押さえながら、紀ノ瀬が叫ぶ。僕は促されるまま立ち上がり、走り出して玄関に向かった。
 ためらうように振り向き、今にも鮎川を取り逃がしそうな紀ノ瀬を見ると、彼は怒るように言った。
「俺は鮎川が怖くないからっ。いいから早く帰ってっ」
 後はもう、振り返らずにとにかく走った。途中でタクシーを拾い、家に向かった。
 鍵がなくて部屋に入れなくて、荷物はどうしただろうと思った。とにかく呼び鈴を鳴らして、相沢に出てもらった。
 ドアが開いて相沢の顔が見えた瞬間、僕は抱きついていた。松葉づえでバランスが悪いのわかってたのに、抑えきれなかった。泣き出していた僕は、もう何がなんだかわからなくなって、とにかく泣き続けた。
 後から聞いた話では、僕の荷物は郵便受けの下に無造作に落ちていたらしい。それを見つけた相沢が、不安になって紀ノ瀬に連絡を入れ、ふたりの意見が一致した。相沢は鮎川の家がどこにあるのか知らなかったから、紀ノ瀬が行くと言い出したそうだ。相沢が行ったら逆効果で鮎川を逆撫でするかもしれないから、紀ノ瀬は自分が行った方が安全だと告げて、飛んで来たらしい。
 僕はすぐに風呂に入った。身体の奥にはまだ鮎川の放った精液が残っていて、深い溜め息をつきながら洗い流した。不思議と死にたくならなかったのは、相沢が抱き締めてくれたせいだと思う。
 明日から僕はどう生きていけばいいのか迷いながら、湯船に浸った。

(未完・ここまで)

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