(初出:旧サイト 執筆日:2000年07月30日)
翌日、気分が落ち込んだままファミレスのバイトに行った。尾崎さんはまたいなくて、そんなに忙しいのかなと思った。本格的に擦れ違いが増えてる。
ファミレスのバイト量、減らしてるような気がした。
これはやっぱり……尾崎さんは、僕を諦めてしまったってことなのかな。
以前ほど僕に近づいて来なくて、それを寂しいと思うのは、僕のワガママなんだろう。
鮎川の影はどこにもちらついてなくて、とりあえず安心してバイトに励んだ。紀ノ瀬という味方(?)をつけた途端、こんなにも平穏な日々が手に入ってしまった。解決したわけじゃないのに、こんなに安心してる僕はどうかしてる。
思い返してみると、鮎川がうちに入ろうとした時に、講義のノートを持って来たと言ってたけど、夏休み中なんだから大学があるはずない。僕は学生じゃなかったから、何も気づかずに騙されてた。……バカだな。あの時、ドアを開けた僕も相当バカだった。
新しい客が来て、つと見ると、見覚えのある女の子だった。
げっ、と思う。
高永神無だった。あまりに久しぶりで驚いた。
どうやらひとりで来たらしく、僕は周囲を見回して、他の誰かがあの娘に注文取りに行ってくれないかと願った。でもいま動けそうなのは、僕ぐらいだった。
しぶしぶ水とおしぼりとメニューを持って、彼女の傍に立った。どうか気づいてくれませんようにと思って、それらを置き、立ち去ろうと思って片足を動かしたところで声をかけられた。
気の強い眼差しが、非好意的な目で僕を見た。
「そんなにいい男じゃないわよね。こうしてじっくり眺めてみても。あたしの周りの友達、みんなどうかしてるわよ」
僕はひきつったまま、何も言えなかった。
どうしていきなりそんなことを言われなきゃならないんだろう。
「……雑誌、見たんだ?」
「嫌でも友達が見せるのよ。ほらぁカッコイイでしょ? とかなんとか言って。バカみたい」
……ああ、攻撃的だ。
くらくらしてきた。
「……それで、僕が雑誌の通りかどうか、確認しに来たわけ?」
「違うわ。あんたのどこがいいのか確かめに来たのよ。だって、相沢くん、全然あたしになびいてくれないのよ。あたしずっと頑張ってるのよ。なのに、全然なのよ」
……ずっと姿を見かけないと思ってたけど……僕の視界に入らなかっただけだったのか。
「それで最初の告白思い出したのよ。あんたと恋人だって、そう言ってたわね。今でも信じてないわよ。でもすごく気になるのよ。他に女の影ないし、あんたしかいないのよ」
想像だけど、僕がここで働いてることは、ミーハーな友達から知ったんだな?
「……で、僕にどうしろと?」
「見に来ただけよ。でもやっぱり納得できない。わかんないわ、あんたのどこがいいのか」
メニューをちっとも開いてくれない。
注文する気、あるのかな。
「僕、いつまでもここで話してるわけにはいかないんですよ。他にもお客さんはいるし、料理も運ばなきゃいけないんです。注文決まったら呼んでくださいね」
いつまでも相手にしてられないから、さっさとその場を離れた。
ある意味、彼女は仕事の邪魔だ。
世の中男なんていっぱいいるんだから、なにも相沢じゃなくたっていいだろ?
どうしていつまでも相沢に固執するの?
可能性ないって気づいてるのに。
可能性なくても、頑張るつもり?
心のどこかで優越感覚えてる僕は、やっぱり性格に問題あるのかな……。
バイトが終わって帰るために外に出ると、高永神無が待っていた。
……なんで?
鮎川がいなくなったかと思ったら、今度は彼女?
いいかげんにしてくれよ。
神無は僕の顔を見ると、いきなり言った。
「女の身体、興味ない?」
「……は?」
「一回くらいなら、あたしもいいけど」
なにを言ってるんだこの女は。
もっと貞操観念もてよな。
「僕のこと嫌いなのに、なんでそんなこと言ってんの?」
「女に興味ないの? 普通は喜ぶわよ、女からこんなこと言ったら」
「生憎だけど、お断りするよ。じゃあね」
横を抜けて本格的に帰ろうとした。高永神無はムッとしている。
「信じられない! あんた本当に男?」
「うるさいな。相沢が好きなんでしょ? 信じられないのはこっちの方だよ。一回寝て、僕の興味をきみに移して、ふたりの仲裂いてから近づこうって肚? そして僕を捨てて相沢を手に入れようって魂胆?」
神無が黙り込んだ。
図星だったらしい。
なんて安直なんだ。
「悪いけど、その手には乗らないから。少なくとも、きみって嫌いな人とも寝られるんだね。安易にそんなことする人に、相沢は振り向いてくれたりしないよ」
自分でもうわぁっと思うような言葉が滑り出た。
神無は相当腹が立っているらしく、すごい形相で僕を睨んだ。
「宣戦布告してやるわよっ。あたし、絶対相沢くんをまともな道に戻してあげるんだから! あんたみたいなねぇ、可愛い顔してるくせに実は腹黒い奴なんかに、相沢くんを任せやしないわよっ!」
啖呵切って、彼女は走り去ってしまった……。
……腹黒い。
そうか、彼女から見て僕は、腹黒いのか……。
軽いパンチを食らった僕は、ため息ついて家に帰った。
郵便受けを開けて、郵便物を確かめていたら、差出人不明の封筒がまざっていた。
嫌な予感がして、その場で開けてみた。
真っ白な便箋が入っていた。何も書いてない。
裏返してみた。……何も書いてない。
……?
封筒の中を覗いてみる。……なにもない?
なにこれ?
しばらく首を捻った。
「……っ!」
……いきなり背後から口を塞がれて、心臓が縮み上がった。
「久しぶり」
耳元で聞こえたのは、鮎川の声だった。
「俺たちのことってさ、俺たちふたりだけのことなのに、なんで広げるの? 祐汰、関係ないっしょ? なんであいつが口挟んでくるの?」
「……あ……ゆ……」
「それに、俺のしてることってストーカーじゃないよ。純粋な恋愛感情だよ。どうしてそれがわかんないの?」
意識が少し薄らいだ。
塞がれてる口に、ハンカチのような布。
ヤバイ。
気を失う……かもしれない。
なんだ? なんの匂いを……。
視界が薄れた。
身体から力が抜ける。
足が……崩れる。
そして……意識が消えた。
目を覚ました時、僕は車の中だった。
ぼんやりする意識で、下肢の痛みを感じとる。
何かが、僕の中で動いてた。
……少し視線を動かす。髪が見えた。
それは、熱心に動いていた。倒れたシートに僕は寝ていて、足を折り曲げられて抱えられていた。
手を動かそうと思った。
動かなかった。
手首が痛い。
縛られてる……?
頭上で、何かで固定されてる。
頭が麻痺していて、何をされてるのか、よくわからなかった。
ただ、圧迫感が下肢から押し寄せて来て、変な息が洩れる。
それは、僕の中で動きながら、僕の下腹部に手を添えた。刺激に反応して、それは熱を持ち、快感が押し寄せて来て、僕は目を閉じた。
それはずっと僕の中で動いていた。少しずつ、頭が現実に戻って来ようとした。けどすぐに、快感の波に流されて何も考えられなくなった。それがしばらく繰り返されて、何かが僕の中に注がれたのがわかった。
「悟瑠?」
問いかけが聞こえた。
僕は返事が出来なかった。
頭がぼうっとして、舌が動かなくて喋れそうになかった。
僕から離れたのは……どうやら鮎川らしい。
鮎川?
鮎川って誰だっけ……。
よくわからなくなって、僕は視線だけ向けた。見たことのある顔が、目の前にあった。でも誰なのか、すぐには思い出せなかった。
頭の中が混線している。
ここはどこだろう?
どうして僕はここにいるんだろう?
そう思ったけど、意識が薄くなっていく。
瞼が重くなった。意識を保つのが難しくなった。
引きずられるように……意識が消えていく。
「たいした効果、期待してなかったけど、すごい効き目だね、あれ」
鮎川の笑う声が聞こえてきて、僕は目を開けた。
「いいもの売ってくれてサンキュ。またよろしく頼むよ。じゃ」
携帯電話の通話を切る、鮎川の姿が見えた。
身体を動かそうと思ったら、腕が固定されていた。どうやら倒されたシートに寝かされてるらしく、場所は車の中だった。
「あ、起きた?」
鮎川は普通の笑顔で言った。
「……なに、してるんだ」
「なにって? 相沢、退院したんだろ? だから部屋じゃ出来ないから、車に連れ込んだんだよ」
「……なにした、僕に」
僕は鮎川を睨みつけた。
鮎川はすごく凄惨な笑みを浮かべた。
「セックスに決まってんじゃん。男ってしばらくしてないと溜まるからさ、ちゃんと処理してかないと変になるだろ?」
少し痛む下肢。足の間でなにかヌルヌルとした感触。
「……処理……僕で」
「そ。きみで。処理できれば別に相手は誰でもよかったんだけど、どうせなら好きな人の方がいいかと思ってさ。使わせていただきました。ごちそうさま」
目の前が真っ赤になった。起き上がろうとしたら、ガシッと固定された腕が何かにひっかかって起きられない。
「……おまえっ、なんで……っ」
「俺ずっといなかったろ? すっかり安心した? 油断した? 俺ホントはおまえに文句言いに来たんだけど、セックスできたからいいや」
「……なっ……」
「祐汰に余計なこと教えるな」
いきなり叱るような目で睨まれた。
「あいつバカだから、全部鵜呑みにして説教たれんだよ。すげぇうざいから、あいつには余計なことは言うんじゃねえよ」
「…………」
「あいつまともだから、叱られると俺が悪いことしてる気になんの。俺がこれまで生きてきた中で、あいつが一番まともな人間なんだよ。やってることも、言ってることも」
僕は、鮎川の中で、紀ノ瀬祐汰が特別な位置にいることに気づいた。
幼稚園の頃から知ってて、つかず離れずで身近にいて、特別深く仲がいいわけではなくて。
だけど他の誰かとは違う存在なんだと。
「……手、ほどけよ」
だからなんだと僕は思う。
そんなの僕には関係ないことだ。
「悟瑠、なんで今日は泣かないの? 意識ない間にやったからか。意識あるうちにやったら泣く? おまえの泣き顔好きなんだ」
鮎川の手が、僕の身体にかかった。
僕は焦った。
「触るなっ」
「もう二回もエッチしたのに、まだ遠いところにいるんだな。いつになったら、俺を好きになるの」
「はっきり言うけど、おまえは僕のこと好きなんかじゃないよ。おまえはただ僕を征服してるだけだ。踏みにじって苦しめて、優越感に浸ってるだけだ。僕の人生ぶっ壊して、楽しんでるだけだ。そんなの好きって言わないっ!」
鮎川は、何を言われたのかわからないような顔をした。
「俺、欲しいものが欲しいだけだよ? それの何が間違ってんだよ」
「僕は物じゃないっ!」
泣いたら負けだった。鮎川を喜ばせるだけだってわかってた。
「……紀ノ瀬に、僕はまだ全部話したわけじゃない。でも決めた。彼にすべて話すよ。鮎川のしたことを全部はな……っ」
頬を拳で殴られた。一瞬、頭がくらくらした。
目の前に星が散る。僕は目を開けて、鮎川を見据えた。
怯えてられなかった。
ダメージ受けて泣いてる場合じゃなかった。