明日から高校復帰。それも高村夏生として。
家の中ではなんとかやり過ごしていた。確かに夏生の言った通りで、いい子にしてれば何の問題もなかった。夏生本人と会ったことで、少しは周りとの対応の仕方がわかったような気がする。
部屋の中にある夏生の物を、とりあえず把握した。エッチな物は本当になかったけど、夏生の言葉から部屋には持ち込まないことはわかってる。じゃあいったい、どうやって解消してるんだろう、男の生理現象を。
彼女でもいるのかな。
それはそれで非常に問題だった。
できることならオレは誰とも深く接したくない。高村夏生じゃないことがバレるからだ。あんな要領のよさそうな奴の真似なんか難しい。できるはずがない。
訊いとけばよかった。彼女がいるのか、いないのか。
夏生は退院したらすぐに学校に戻るんだろうか。いや、無理かもな。しばらく自宅療養が続くと思う。
だとしたら、学校でオレはひとりだった。
ひとりで高村夏生にならなきゃいけない。
家の中でもぎこちないのに、学校で無事過ごせるんだろうか。でも、悩んだって仕方がない。なるようにしかならないだろ。どうせオレは夏生の中から出られないんだから。
夏生のクラスは三年C組。本当のオレのクラスは三年A組。
これまでの高校三年間、夏生と同じクラスになったことはなかった。
夏生がどんな高校生活送ってたかなんて、まったく知らない。だから教室に入った時には怖かった。
バイク事故のことは完璧なほど伏せてある。だから誰も知らないはずだった。
オレは別の理由で怪我をして、一週間学校を休んだことになっていた。
「あー、なっちゃんだー」
いきなり素頓狂な女の子の声がして、オレはびびった。だ、誰だ?
目の前に来た女の子は、色っぽいけど子供っぽい感じの子だった。
「ねーねーなっちゃん怪我したってホントー? のあ、心配しちゃったー。だいじょうぶー?」
夏生のイメージからして、こういうタイプと仲良く喋るとは思ってもみなかった。
ひきつりつつ、オレは何とか口を開いた。
「だ、大丈夫だよ。なんともない。たいした怪我じゃなかったんだ」
「ほんとー? よかったぁー」
嬉しそうに「のあ」と名乗った女の子が離れて行った。
……。
それを皮切りに、オレの傍にはクラスメートがぞろぞろ集まってきた。ほとんどが心配の言葉で、夏生がクラスの人気者だってことがよくわかった。
こ……怖い。
どーやってこの中で夏生を演じればいいんだ?
プレッシャーがのしかかってきた。
結局、半日でオレは耐えられなくなって、体調不良を理由に早退した。
無人の公園のブランコに座ってボーッとした。
なんでこんなことになったんだろう……。
オレは何もしてない。何も悪くない。なのに何でこんなことに。
悪いのはみんな夏生だ。あいつがバイクで突っ込んできたりさえしなければ、オレはこんな目に遭ってなかったんだ。
ゴンッて音がして後頭部に痛みが走った。
「いってー……」
振り向くとオレがいた。
正確には、オレの顔の夏生がいた。
「……おまえ」
「初日からさぼりとはいい度胸だね。本当は家でおとなしくしてなきゃいけないんだけど、気分転換に外で散歩したいって言ったら出させてくれたよ。こうしてさぼってるきみを見つけられたわけだから、出てきてよかったと思ったね」
「……さぼったわけじゃねーよ。朝はちゃんと行ったんだ。けど……なんか凄く苦痛で逃げちゃった」
「駄目だろう、それじゃ。僕はこれまで無遅刻無欠席無早退だったんだ。風邪こじらせて熱が出ても学校にだけは律儀に行っていたんだ。それをきみは」
「うるさいなっ。オレだって好きでおまえの中にいるわけじゃないんだよっ。オレはどっちかって言うと、真面目に学校行くタイプじゃなかったんだ。気が乗らない時はいつもさぼってたんだよっ。しょーがないだろ、これがオレなんだからっ」
「困った人だね」
夏生がため息ついた。
「学校の何がそんなに嫌なんだ」
「全部。なにもかも。つまんねー。面白くない」
「友達だっているだろう。勉強嫌いでも」
「いない」
「まったく?」
「つるんでる連中ならいたけど、べつに仲良くない」
「表面だけの付き合い? まあ、わからなくもないけど。それじゃあ困るのはきみの方だよ? いろんな人と、とりあえず仲良くしとかないと。いつどこで役に立ってくれるかわからないからね」
オレは思わず夏生の顔を見つめた。
「おまえ、利用するために仲良くしてんの? 人と」
「それだけでもないよ。有効利用できるかできないか判断するのも必要だと言う話だ。時にホッと和ませてくれる人なんかもいるし、男の本能をいくらでも解消させてくれる人だっている。人間的に嫌いでも役に立つ人もいるし、無条件で好きになって傍にいたいと思う人もいる。様々だ」
「……訊きたいことあったんだけど」
「なんだい?」
「おまえさ、彼女いるの?」
夏生が真顔になった。それからクスッと笑う。
「たくさんいるよ」
「はあ?」
「セックスさせてくれた女の子は凄くたくさんいるよ。しょうがないだろう、男の本能なんだから。それでバランス取れることだってある。初めてしたのは小五の時」
「……マジ?」
オレは唖然として夏生を見つめた。
「こんなことで嘘はつかないさ。以来、何人もの女の子とそういうことをした。人数はだいたい二百人くらいかな、全部で」
「……それって、小五の頃から数えて?」
「もちろんだ」
「……特定の、彼女は?」
「いないよ。みんなに悪いけど、セックスしたくて誘ったのばかりだ。後腐れはないよ。僕と寝たことは口外しないって約束もしたし。もし誰かに話したりしたら、もう二度と会ってあげないよ、とでも言えばたいがい従う。だから校内で噂が暴走したりしないんだ。彼女たちは、他の女の子にも同じことを言って同じように扱ってることを大概知らない。でもセックスだけの関係だって割り切ってくれている。僕は正直だからね、騙したりはしない。必要以上のことも教えてないけど」
「……理解、できない」
「はっきり言ってしまえば、好きな人がいなかったんだ。それだけのことだよ」
わからない。
夏生が全然わからない。
「だからまあ、きみも好きな女の子にふられたようだけど、寝たきゃいつでも寝てくれる女の子はたくさんいるから。多少妙なことをしても、誰も怒らないよ」
「ちょ……待てよ」
「なんだい」
「オレ、そういうの無理だ。どうすればいいのかとか、全然。免疫ないんだよ。キスだってまだなんだ」
「高校三年にもなって?」
そんな馬鹿なとでも言う風に夏生が笑った。
「じゃあ、この身体はキスもセックスも未開発なんだ?」
「そう……だよ」
「マスターベーションは? した?」
「それは……あるけど」
くそう。なんてこと言わせるんだ。
「きみにバラしてしまうけど、退院してすぐに僕はきみの身体でやってみた。他人の身体でも同じように反応するもんなんだね。風呂場でね。すごく気持ちよかったよ」
オレは言葉を返せなかった。
こいつ……なんなんだ?
わからないを通り越して、変だ。
「……オレの、身体でやった?」
「そう。ひとりでね。鏡を用意して、きみがどんな顔をするのか確かめてみた」
「……おまえ、変態じゃねーの」
こんな奴とは関わりたくない。
なんでこんな奴なのに、クラスで人気があったんだ?
猫かぶってんのか?
「来週、僕も復帰するから。柚木勝馬として。じゃあ、明日からはちゃんと学校に行くように」
軽く片手をあげると、オレの姿をした夏生は立ち去った。
オレは夏生の背中を眺めたまま、動けなかった。
夜、やりたくもない勉強を、ちょっとやってみた。
今まで真面目に授業を聞かなかったから、全然わかんなかった。
これまでは試験前に一夜漬けとかしたり、クラスメートにノート借りたりして、なんとかしのいできた。最低限の努力だけだ。成績の方はずっと中の下。
こんなんじゃ、夏生の大学受験は完全にコケるな。
オレの勉強方法はその場しのぎだけだったから。
「夏生、お風呂に入りなさい」
部屋のドアの向こうから、夏生の母親の声がした。
夏生の両親とはどう接していいのか、やっぱり迷う。とりあえず行儀よくして、おとなしくしてればいいのかな。
脱衣所の鏡に映る夏生の顔を見た。
女がいくらでも出来るのがわかる、綺麗な顔だった。
夏生の姿になってから鏡を見るたびに目に入る。少しはなじんできたけど、やっぱり不自然だ。
違和感は消えない。
服を脱いで浴室に入った。湯船に浸るとなんだかホッとする。
オレの身体だろうと夏生の身体だろうと、同じ男の身体だからこれまで何も気にしてこなかった。
けど、今日偶然会った夏生の言葉が耳から離れない。
夏生はオレの身体をいじりまわしたらしい。
いくら他人の身体とはいえ、同じ男の身体で何が楽しいのか、よくわからない。
腕を伸ばして手の甲を眺めた。夏生の肌はオレの肌とは少し違う。
なにがどう違うのか、うまく言えないけど。
骨の感じとか、全体的な長さとか形とか、微妙に何かが明かに違う。
足の間に右手を運んだ。つけ根にあるものをつかんでみる。
他人の身体でも同じように感じるものなんだろうか。
試してみたくなってオレは動かしてみた。腰の辺りが痺れてきて目を閉じた。鼓動が速くなる。息があがる。
……なるほど。
頂点に達して落ちたところで、オレは納得してしまった。
誰の身体だろうと、同じだった。
一週間、高校に通い続けてわかったのは、夏生が本当に周囲から愛されてるらしいってことだった。
おかしいな。
夏生ってすげー変な奴だと思うんだけど。
やっぱり猫かぶってたんだな。
夏生が彼らにどんな心の開き方をしてきたのか、オレにはわからない。だから彼らへの接し方が全然つかめなかった。そんな微妙なぎこちなさは伝わるもので、二週間目に入ると微妙に周囲の態度がよそよそしくなってくる。
なついてくる女の子が時々いても、オレは対応できなかったから冷たくしちゃって、やっぱり微妙に離れていく。
だってどうしたらいいのか、わかんないんだ。
夏生は学校に復帰したらしいけど、クラスは違うし会うことはなかった。
さらに一週間が過ぎた。
「最近、夏生おかしいのな」
クラスメートの片野が昼休みの時、突然言った。
ようやくクラスの何人かは覚えた。特に傍に寄ってくる奴だけ。
「え、おかしい? どこが?」
オレはとぼけた。
「うーん……どこがって、全体的な雰囲気とか。前と全然違うよな。まるで別人みたい」
「そ、そうかな。怪我した時に、頭も打ったから、打ちどころ悪かったかな」
なんて、ごまかしてみる。
「え? 頭も打ったのか? どの辺?」
片野がオレの頭に触れた。その壊れ物を扱うような手つきに、一瞬ぞわっとした。
……なんだ、いまの感じ?
教室の中にはあまり生徒がいない。みんな校庭に出てるんだろう。オレは教室に残っていた。片野もそうだ。だから今ふたりでいる。
「た、たいしたことはないと思うんだ。だから気にしなくても……」
「そうか?」
あ。
さっきまでポツポツといたはずの生徒たちがいない。
いつの間にか、オレと片野はふたりきりだった。
片野もそれに気づいたらしい。
「ふたりっきりだな」
「うん。みんな外で遊んでるのかな」
「昼休み終了まであと二十分」
「それがどうかした?」
「何言ってんだよ、水臭いなぁ」
片野の態度が豹変した。
なんだこの甘え口調は?
「……片野?」
「ふたりっきりの時はユウちゃんだろ? 入院してる間に忘れちゃったのか、なつみ」
夏生ではなく、甘ったるく「なつみ」と呼んだ。
なんだこいつ!
気持ち悪いぞ!
片野の腕が、オレの腰に絡んだ。耳をいきなり口に含まれて、オレはぎょっとした。
「な、な、なにを……っ」
「何って……せっかくふたりきりなんだから、いいだろ?」
顎をつかまれた。片野の唇がオレの口を塞ぐ。オレは必死で唇を閉じたのに、片野の舌が割って入ってきた。
「ん……んんんっ」
制服のズボンの上から片野の手がガシッとつかんでくる。待ってくれ。
「やっ……やめ……」
「なんで? ずっと我慢してたのに。久しぶりなんだぜ、俺」
「あっ……」
オレは必死に片野を押し退けようとした。嫌がるオレを可愛いとでも思ってしまったのか、片野はなんだか嬉しそうだ。
オレは片野を突き飛ばした。それから脱兎のごとく逃げた。
置き去りにされた片野がどんな顔したのかなんて、見てないから知らない。
とにかくオレは夏生に会わなきゃならなくなった。