天国の終末 19

 翌日オレは、さぼることなく学校に行った。
 もし晴正と会ったらどんな顔すればいいんだろう。でももう一度ちゃんと話がしたい。話しても……ダメかもしれないけど。
 怖々と晴正の教室を覗いてみた。……晴正の姿はどこにもなかった。
「……来てないのかな」
 代わりに夏生の姿を見つけた。オレに気がついてないらしく、クラスの女子と楽しそうに話をしていた。……ほんとに男女かまわずなんだから。
「うちのクラスに何か用か?」
 びくっと身体が震えた。今の聞き覚えのある声……。
 振り返ると片野がいた。そこで初めて思い出した。このクラスには、晴正と夏生だけじゃなくて、仁科や片野、坂西もいる。
 舐めるような視線に嫌悪感を覚えた。その目で、まだオレは狙われているんだとわかった。やっぱりゲームは終わってなんかいないんだ。
「写真見たぞ。すげーよな、おまえ」
 腕をつかまれた。オレは慌てて振り払う。
「触んなよっ!」
「ああいうの、今度、俺にもやってくれよ。な?」
「やだよ!」
 逃げようと思って片野に背中を向けた。そしたらそこに誰かいたみたいで、危うくぶつかりそうになった。慌てて顔をあげると、そこには……晴正!
「あ……」
 晴正はやっぱり醒めた目をしていた。少し複雑そうな色。オレを見て、片野を見た。
「じゃ、俺はこれで」
 片野が教室の中へ逃げて行った。残されたのは、オレと晴正ふたりきり。
 内臓が縮こまったような圧迫感。ひどくなっていく動悸。
「は……晴正、あの」
「まだおまえの顔、見たくないんだ。しばらく一人にしてくれないか」
 なにも言えなくなった。
 晴正はオレの傍をすり抜けて、教室の中へと入って行った。オレは振り返ることも、追いかけることも出来なかった。
 茫然とその場に立ち尽くしたまま、二、三分が経過した……頃。
「ふられちゃったの?」
 からかうような声音。夏生が耳元で囁いた。
「っ!」
 心底からびっくりして振り返ったオレに向かって、夏生が笑った。
「きみには僕がいる。だからいいじゃないか。あんな奴のひとりやふたり」
 誰のせいで壊れたと思ってるんだ。
「……夏生じゃ嬉しくない」
 腹立ちの方が強くて、そんな言葉が口から出た。夏生が心外そうに眉をひそめ、オレの右手首をつかんで引き寄せた。
 指に夏生の唇が触れた。どくん、と胸の奥で心臓が跳ねた。夏生は指のひとつひとつに丁寧に口づけをする。
「本当に僕じゃ嬉しくない?」
 顔が赤くなるのが自分でもわかった。身体が何かを期待した。そんな自分にも腹が立った。返す言葉を探していると、教室の中にいる晴正と目が合った。
「!」
 慌てて夏生から右手を奪うように取り戻し、逃げるように走り出した。そのまま振り返らず、自分の教室に飛び込んだ。
 頭の中がぐちゃぐちゃだ。
 自分の机から鞄を取ると、教室から出ようとした。末田が驚いたような声で呼び止めたような気がするけど、オレは無視するように学校から出た。

 街を適当にぶらついて、ファーストフードの店に入って昼食をとった。制服姿だから、かなりマズイ。いつ補導されてもおかしくなかった。
 ふらふらしてても面白くなくて、家に向かって歩いた。その途中に無人の公園を見つけて、ブランコに座った。
 最近の子供は、こういうとこじゃ遊ばないのかな。
 公園の規模が小さすぎるのかな。
 もっと別の地域で見かけた公園じゃ、いくつかの母子を見たこともあったけど。
「不良だな」
 頭上でいきなり声がして、驚きのあまりに身体が跳ねた。慌てて振り返ると、そこには……夏生がいる。
 神出鬼没すぎるぞ。
「きみの行動パターンなんて、把握しきっているからね。学校帰りに寄ってみれば、思った通りきみがいた」
「……もうそんな時間か」
 時間の経つのって早いな。
「長沢が沈んでいたよ。何か悩んでいる様子だった」
 晴正の名前が出て、ずしんと胸が重くなった。切ないような、苦しいような。
「けど、やすやすときみを手放したのは彼の方だ。今さら悩んでも遅い」
 夏生の腕が背中から覆うように抱きしめてきた。ブランコにかすかに揺られながら、夏生の温もりに浸った。心地いい腕だった。
 耳元で夏生が囁く。
「ラブホテル、行こうか」
「……制服じゃ入れないだろ」
「じゃあ、どこに行こうか。学校に戻る?」
 夏生の家はマズイんだな。そう言えばあそこには、エッチな雑誌もビデオも存在しなかったもんな。
「……夏生の家、行こうか」
「え?」
「夏生の家がいいな」
 意地悪だった。さんざん夏生に苛められたんだ。少しは夏生の嫌がることをしたい。
「うちは駄目だよ。母親にきみとのセックスシーンを見せるのかい?」
「そう。見せてやろうよ。そしたらどうなるのか」
「ショックを与えるだけだ。母親に知られれば父親にも知られる。金と権力の力できみは潰されるかもしれないよ」
「いいよ、それでも」
 投げやりなオレの言葉をどう解釈したのか、夏生は少し黙り込み、しばらくじっとしていた。それからいきなりオレの耳を噛んだ。
「いたっ」
「兄さんのうちに行こう。きみをいたぶってくれる」
「ちょっ……」
 夏生はムリヤリオレを立たせると、腕をつかんで歩き出した。慌てたオレは足をふんばった。
「おまえの兄貴とはもう寝ないって言ったろ!」
「彼は僕の言うことはなんでも聞いてくれる。僕はきみの、嫌がりながら抱かれる姿を見たい」
「いきなり何言ってんだよ。唐突だぞ、おまえっ」
「どこが?」
「だいたいおまえ、本当にオレのこと好きなのっ? 簡単に人にやらせるし、簡単にほっぽるし。かと言えば、変に執着するし。好きならもっと、大事にしろよなっ!」
 オレが怒鳴ると、夏生が立ち止まった。
「何度言わせればわかるんだ。僕はきみ以外に好きな人なんていない」
「だったら大事にしろよっ」
「大事にしてるよ。僕なりにね」
 どこがだよ。
 ぐいと腕をひっぱられ、身体ごと引き寄せられた。唇が重なり合う。誤魔化されてるような気がして、オレは夏生の身体を押し退けた。
「大事にするってのは、こういうのじゃないっ!」
「どうすれば満足するのかな、きみは」
「オレが本気で嫌がることはするな。夏生がぜんぶ自分中心に考えるのやめて、もう少しオレのことも考えられるようになったら、その時は考えてやってもいい。夏生のこと、好きになることもできる。だけど、今のまま自己中の夏生は嫌いだ。オレを苛めることしか考えてない夏生なんか大嫌いだ」
 夏生はしばらく黙ってオレを見ていた。
 それから何が可笑しいのか、笑い出す。
「嫌いで結構。自分中心の何が悪い? 僕は僕の生き方をする。きみに指図されるいわれはないよ。それが嫌なら、僕の腕を本気で振り切ればいい。いっそ僕のことを殺してくれてもいい。中途半端な真似をするから僕がつけいることも出来るんだ」
「夏生……」
 心底から腹が立った。
 結局、夏生は本気でオレのこと考えてくれるわけじゃないんだ。
「……わかったよ」
 オレが言うと、夏生が興味深げに顔をあげた。
「本当にオレのこと心配してくれる末田のとこに行く。もう絶対、二度とおまえとはつきあわない。セックスだってしない。大っ嫌いだ!」
「長沢がダメなら末田なの? 無駄だよ。長続きはしない」
「そんなの夏生なんかにわかるもんかっ!」
 夏生の腕を振り払った。そのまま背中を向けて走り出す。夏生は追って来なかった。相変わらず何を考えて行動してるのか、さっぱりわからない。

 家に帰って部屋でぼーっとした。
 食事もしたし風呂も入ったけど、まるで機械のように事務的で、親に「どうしたの?」と訊かれたけど生返事して部屋にこもった。
 なんだか知らないけど悲しかった。
 晴正に捨てられただけでもショックなのに、夏生は相変わらずだし。オレのことが好きだと言うのなら、なんでもっとちゃんとそれらしく出来ないんだろう。
 …………。
 なんでオレは夏生のこと、こんな風に考えたりするんだ。あいつの性格なんて、嫌というほど知ってるはずだ。あんな奴に心がかたむくなんて、どうかしてる。
 電話が鳴った。
 反射的にビクッとしたオレは、恐る恐る電話を見た。
 きっと夏生だ。
 夏生しかいない。
 そう考えながら、何かの引力にひきずられるように、オレの手は受話器を取った。
「……もしもし」
『柚木勝馬くん?』
「そう……ですけど?」
 聞こえてきた第一声が、夏生の声とはかけ離れた音で、オレは面喰らった。
「あの? どちらさまですか?」
『ああ、俺、高村秋人という者ですが……あの、夏生の兄です』
「……え?」
 なんでうちの電話番号なんか知ってんだよ?
「夏生の、お兄さん?」
『うちの夏生がいつもお世話になってます。それでですね、夏生に頼まれたんですが、明日の放課後迎えに行きますんで』
「は?」
 なんのために?
『学校で嫌なことがあったそうですね。それで夏生が、気を紛らわせてあげて欲しいと言いまして、それできみのうちの電話番号を教えてくれたんです』
「……あの」
『いきなり放課後に現われたら驚くと思って、こうして事前に連絡してるんですけども。夏生にもそう言われましたし』
 ちょ……ちょっと待て。なんだこれは?
『では明日、お会いしましょう。写真が手元にあるので俺からきみを見つけます』
 音が切れた。
 ツーツーツーと電子音が続いた。
 オレはしばらく茫然として受話器を見つめていた。
 ……やられた。
 夏生のやつ。
 言ったことは、なにがなんでも実行に移す。
 そういうやつだった。
 あいつ、ほんとにオレのこと何だと思ってるんだ?
 オモチャにしやがって。

 オレは受話器のフックを一度押してから、夏生の部屋の番号を押した。コール音が鳴って、さほど待たないうちに相手が出た。
『はい、高村です』
「……夏生、なんのつもりだ」
『なにが?』
 確認なんかしなくても、受話器の向こうの声が夏生であることはわかっていた。
「いま、おまえの兄貴から電話が来た。明日の放課後に迎えに来るって? 写真が手元にあるとも言ってたぞ。おまえ、何の写真渡したんだ」
『きみが喘ぎよがっている場面』
 がっくりと力が抜けた。
 冗談なのか本当なのか判断できない声だけど、夏生のことだから本当だろう。
『どうやらそれ見て、かなり燃えたみたいだよ、彼は。僕の頼みも簡単に引き受けてくれた。明日は逃げないようにしなよ? でなきゃ、あさってにずらすだけだから」
「本当になに考えてんだ、おまえっ。いったい何がしたいんだよっ」
 オレが怒鳴ると、受話器の向こうで夏生は笑った。
『じゃあ、また明日ね』
「ちょっ……待てっ……」
 一方的に電話が切れた。
 今度は何を企んでるんだ……?
 夏生の考えることは予測なんてできない。
 どうしたらいい?
 オレはもう一度、受話器を手にした。末田の家にかける。
 本当なら晴正に相談したかった。だけど今は駄目だ。
 今のオレに味方してくれそうなのは、末田だけだった。
 電話に出た末田に、夏生と夏生の兄貴に言われたことを要約して伝えた。だから明日、オレを見張っていてくれ。連れ去られないように。そんな内容のことを言うと、末田は「わかった」と答えてくれた。
 電話を切ってから、オレは改めて考えた。こんなの気休めでしかなかった。夏生はやると言ったら絶対にやる。もし末田が助けようとしてくれても、なんらかの方法で思い通りに事を運ぶ。
 どうして夏生ってそういう奴なんだろう。
 オレはベッドの上に転がった。疲れすぎて力が抜けた。
 明日、学校へ行かない、という手もあったけど、一生行かないわけにもいかない。
 早かれ遅かれ、夏生につかまるんだろうな……。
 考えるれば考えるほど諦めモードがオレの中に広がっていった。
 よく考えてみれば、夏生にしろ夏生の兄貴にしろ、一度ならず寝た相手だった。
 今さらどうなったところで、たいしたことじゃないような気もしてきた。
 貞操を守る理由も必要も、もうなくなっちゃったんだから。

つづく