天国の終末 16

 末田に呼び出された晴正が、目の前にいた。オレは末田の横で所在なく立っていた。
 末田からすべての話を聞いた晴正が、驚いた顔でオレを見つめる。
「……なんだよ、それ」
「だから、俺とあんたのふたりで勝馬のこと守るんだよ。それしか方法ないだろ? あんな奴らのおかしなゲームなんかに付き合ってやれるかよ。学校ではクラスが同じ俺が見てるから、他んとこではあんたが勝馬のこと守るんだ」
 末田が晴正に向かって指を突きつけた。
 命令口調で言われたのが不快だったのか、晴正はわずかに眉をひそめる。
「勝馬のことは守るよ、当然。だけど、それだけじゃ解決にならないだろう。仁科たちをなんとかしないと」
「そうだけど、どうすりゃいいんだ」
 ……どうにもなりはしないさ。
 あいつらがそう簡単に諦めるはずがない。結局オレはあいつらに犯されて遊ばれるだけだ。逃げ切れるはずがないんだ。
 オレは教室の中を眺めた。オレたち三人以外、誰もいない。窓の向こうは夕暮れで、なんだか物悲しい。
 ふたりの会話をぼんやりと聞きながら、オレは何気なく廊下側の窓を見た。
 ……人影が立ってる。
「誰かいる」
「えっ?」
 オレの言葉に反応したふたりが、反射的に廊下側の窓を見た。人影は動くことなくそこに立っていた。晴正が先に歩き出して、窓を開ける。
「……夏生」
 その名が聞こえて、オレはどきっとした。窓枠にもたれていたらしい。隠れることなく振り向いた夏生は、晴正を見、末田を見、最後にオレを見た。心臓が早鐘を打つように乱れて、呼吸困難にもなって、オレは死ぬかと思った。
「面白い話をしているね。長沢が末田に呼び出された時、ただごとじゃないと思ったんだ。立ち聞きしたのは謝るよ」
「なにしに来た?」
 晴正が警戒してる。夏生がうっすらと笑った。鮮やかで、綺麗で、オレは思わず見惚れた。
 夏生がいつでも傍に来た時より、ずっとずっと意識してる。なんだよこれ。なんでこんな風になるんだよ。もし今、夏生に触れられたら、破裂するかもしれない。
「仁科と坂西と片野か。厄介な奴らだよね。僕がそっぽを向いたら、矛先を勝馬に変えるなんて。勝馬に狙いを定めるところが、見る目あるとは思うけどね。だけどちょっと許せないな。つるんでないと何も出来ないとこも気に入らない」
「俺から見れば、夏生も十分危険人物なんだ。近寄らないでほしい」
 晴正がきつい声音で言った。そんなの承知してると言いたげに夏生が笑った。眼差しがオレを捉える。金縛りに合ったようにオレは動けなくなった。
「久しぶりだね、勝馬。元気だった?」
 思わずオレはうつむいた。視線を合わせるのが怖くなった。そんな態度を夏生がどう思ったかなんて考える余裕なんてなかったし、それくらいのことで傷つくような夏生じゃない。
「顔を見るのも嫌?」
 そうじゃなかった。動揺してることを悟られたくなかったし、妙な具合に意識してることを晴正や末田に知られるのも嫌だった。
 諦めたように夏生がため息をついた。
「まあいいや。どうせ勝馬は他人(ひと)のモノだしね。……もとはと言えば、原因は僕にある。責任回避するわけにもいかないな」
「おまえがあいつらの慰み者になっていれば、勝馬がターゲットにされることなんてなかったはずだ」
 晴正の口調には敵意がこもっていた。かつて夏生のことが好きだったなんて嘘みたいに思えてくる。夏生の視線も醒めきっていて、負けずに言い返した。
「失礼なやつだな。慰み者とはなんだ。僕はこれまでそんなつもりで誰かと寝たわけじゃない。僕自身の楽しみのために付き合ってきたんだ。だから不快な気持ちにさせる連中と寝てやる気なんかない。僕が彼らを排除した理由のひとつには、僕に内緒で勝馬を強姦したことも含まれてるんだ」
 末田がギョッとした顔でオレを見た。晴正と夏生の会話は常人にはついていけないレベルに達している。本当なら、何も知らない末田の前で暴露されるのは嫌だと思うはずなのに、当のオレはぼんやりとふたりの会話を聞いているだけで、末田の動揺に対処なんかできなかった。
 そんなことよりも、夏生の声ってなんだか心地いいな、なんて違うことを考えてた。
 おかしいな。オレは晴正が一番好きなのに。それははっきりと確信してるんだ。だから今さら夏生を寄せつける気なんかなかったし、晴正と別れる気もなかったし。
 だけど不思議なことに、夏生には独特な吸引力がある。少しでも油断をすれば夏生の発している引力に負けそうになる。引き寄せられて離れられなくなりそうな……。
 ああ……だからみんな夏生と寝たがるのか。
 たぶん……セックスアピールが強いのかな。フェロモンってやつ? 不思議な色気と言うか、見ていて飽きないと言うか。その上、ベッドではすごく上手くてフラフラにさせられる。だからまた夏生と寝たいと思う。夏生と深く接した人は、きっとみんなそう思ってるのかもしれない。
「彼らに忠告してみるよ。勝馬にひどいことをしたら、ただじゃ済まさないよってね。これでも結構、僕の言葉には威力があるんだ。もしもの時にはいくらでも協力してくれる連中がいるしね。なにしろ僕の交際範囲は広いから」
 ……どんな交友関係があるんだろう。聞いてみたいけど、かなり怖い。

 結局、夏生は連中に忠告することに、晴正と末田はオレの傍に出来る限りひっつくことに決まった。それで本当に大丈夫なんだろうかと思う反面で、なんだかどうでもよくなっていた。
 よくよく考えれば、オレは夏生になってた頃を含めて、何人もの男に抱かれている。それが夏生の策略のせいだったり、別の人のターゲットにされた結果の強姦でも、オレの身体は今さら綺麗にすることなんかできない。どこをどうされると快感を覚えて、どんな声を出すのか、全部わかってる。
 それに男の身体なんて結局は快感さえあれば、相手が何でも構わないってことだった。それが強姦された時に得た結果だった。精神的にどんなに嫌だと思っても身体は反応する。反応したら最後、どこまでも快感はついてくる。
 原因は夏生だ。あいつに開発されたせいで、感じやすい身体になってしまった。夏生があらゆる手を尽くして、オレが快感に溺れるように改造してしまった。そんな身体にされたのに、オレは夏生を嫌いになれず、今でも胸が高鳴ってみたりする。どうかしてた。完全におかしい。オレはどこか狂ったのか?
 夏生と末田とは学校で別れた。夏生は意外なほどあっさりしてた。
 晴正と並んで歩きながら、夏生と寝なくなってどれだけ経つのか頭の中で計算してた。その結果が出るより早く、晴正が声をかけてきた。
「大丈夫か?」
 はっと我に返った。晴正が心配そうな顔でオレを見ている。
「あ……うん」
「さっきからずっと、ぼーっとしてるから心配なんだ。どこかの回路が壊れたのかと思ったよ」
「……故障、してるかも」
 ゲームのターゲットにされたせいか、それとも夏生と再会してしまったせいか。
 どれが原因だろう?
 オレが壊れてる原因はどれだろう?
 オレはまっすぐに晴正を見た。
「修理してほしいんだ」
「……勝馬」
 意味が伝わっただろうか?
 頭の中がぐちゃぐちゃで、とにかく何もかも忘れたかった。
 ゲームのことも夏生のことも、一時的でもいいから忘れてしまいたかった。
 オレたちは晴正の家に直行して、二階の晴正の部屋に入るや否や、即座に服を脱いだ。 ベッドの中でオレたちは絡まり合い、抱き合い、狂ったように求めあった。部屋のドアには鍵がかかっていたし、階下ではテレビのボリュームが大きい。だから少しくらい音や声をたててもわかりはしなかった。
 家の中には晴正の母親がいた。それはこの上もないスリルとなってオレたちを刺激した。さらに燃えあがって意識が何度も飛びかけた。身体がボロボロになってもいいから、とにかく何もわからなくなりたかった。
 ……どれくらいの時間が経ったのか、隣で横たわる晴正が辛そうな目でオレを見た。腕が伸びて強く抱きしめ、オレはその胸に顔をうずめた。
「……おまえが他の奴に抱かれたりしたら耐えられない」
 こくんとオレは頷いた。オレだって晴正が他の誰かと寝たら絶対に嫌だ。甘えるように晴正に寄り添い、夏生のことは忘れようとした。けど、忘れようとすればするほど、身体の端々から夏生の指の感触がよみがえってくる。夏生の感触が欲しくなって、辛くなってきた。それを埋めるために晴正に身を寄せ、さらに求める。オレがねだると晴正は嫌とは言わず、むしろ喜々として快感をくれる。そうして身体のどこかが落ち着くまで、オレは晴正と抱き合っていた。
 そうやってオレは故障した部分を、晴正に修理してもらった。
 完治したかどうかはわからない。

 翌日から、晴正と末田による見張りがはじまった。
 一週間が過ぎ、二週間が過ぎても、何事もなかった。
 夏生の忠告に効果があったのかどうか、あれから夏生が現われなかったからわからない。晴正に訊いても、夏生との接触がほとんどないから訊けないって言われた。
「どういうこと?」
「避けられてるような気がするんだ。俺がそれとなく近寄ろうとすると、うまくかわされるというか……」
 てことは、夏生の忠告はきっと無駄足だったのかもしれない。夏生はプライドが高いから、失敗したことなんて口にできないんだろう。
 それにしても何も起こらないなんて、晴正と末田が傍についてるせいなのかな。たまーにひとりきりになる瞬間ってのはあるんだけど、その隙をつかれたりもしていない。
 ……諦めたんだろうか?
 それとも実は夏生の忠告が功をなしたんだろうか。
 そんな風に、油断しはじめてきたころだった。

 たったひとりきりになる微妙な瞬間。そのタイミングを見つけるのはすごく難しいと思う。クラスが違えば尚更だ。けれど、その瞬間が存在しないわけじゃない。
 それまで末田と一緒にいた。朝から教室で授業が行なわれて、移動は体育と科学だけの日だった。運動着に着替えて末田と一緒に運動場に出て、授業を受けて、戻ろうとした時に隙が出たらしい。その瞬間がどうだったのか、末田がどこを向いていたのか、すぐ近くにいたのか、まるで覚えていない。
 みぞおちに強烈な一発を食らって判断力がなくなった時に、ムリヤリ連れ去られた。半分くらい意識が消えかけてたから、何がなんだかわからなかった。
 気がついた時には、使われてないらしいどこかの教室の中で、身体を縛られて椅子にくくりつけられていた。
 椅子の上で意識が戻ったオレは、はっきりしない頭のまま周囲を見渡した。
「起きた?」
 含み笑いのその声は、聞き覚えのありすぎるもので、オレは自分の耳を疑った。
 目を向けた先にいたのは夏生だった。
「……なつみ……?」
 夏生は確か、仁科たちのゲームを阻止するために忠告するはずだった。
 ……約束、破ったのか?
「これ、なに」
 縛られたこの状況を説明してもらおう。
 夏生は楽しそうに笑った。心底から嬉しそうだった。
「ゲームに参加したんだ、僕も」
「えっ?」
「仁科に忠告しようとしたらね、逆に誘われたんだよ。それで僕は条件をつけた。もしもこのゲームで僕が勝ったとしたら、もう二度と勝馬には近寄らない。手を出さない。しぶしぶだっだけど、彼らは承知してくれたよ」
 オレは茫然として夏生の話を聞いていた。
「ゲームの勝ち負けは非常にわかりづらいから、証拠を残すのがルールだ。勝馬、こっち向いて」
 夏生がポケットから取り出したのは、使い捨てカメラだった。オレに向かってシャッターを切った。ストロボの眩しさに、思わず目をつむる。
「駄目だよ、ちゃんと目を開けてくれないと」
「写真が証拠ってことか」
「その通り。動かぬ証拠でしょ?」
「なんで約束破った」
「約束?」
 夏生はなんのことかと言いたげな、不思議そうな顔をした。
 だから余計、オレは苛立った。
「あいつらに忠告してやめさせるって……」
「だからゲームに参加する時に条件つけたじゃないか。僕が勝ったら勝馬には手を出すなって」
「……」
 夏生はきっと初めからそのつもりだったんだ。
 そう悟ったオレは、急に力が抜けた。抵抗する気力が失せた。いつもそうなんだ。夏生は必ず、自分の思った通りに事を運んでいく。そしてオレの抵抗は少しずつ力を失って、やがては夏生の言うままになる。
 夏生が傍に近づいた。オレの目の前に細身の身体が立ち、その手がオレの両肩に乗った。ドキンと心臓が鳴った。思わぬ反応に動揺したオレは、それを夏生に知られないように息を殺した。夏生の顔が近づいて、耳元に息がかかりそうなほど寄って、囁きを残した。
「久しぶりだね」
 何が、なんて問わなかった。そんなのわかりきっていた。
 これから何が行なわれるか知った身体が、妙に疼きはじめた。
 やばい。
 オレ、なんか期待してる。
 夏生は椅子とオレを結んでいる縄を指した。
「これ、取らないから。きみはたぶん抵抗しないだろうけど、ゲームのルールは強姦だからね」
 何を根拠に抵抗しないと言ってるのかわからなかったけど、夏生の思っている通りだから悔しい。
 夏生に触れられる部分から熱が発生した。火傷しそうだ。こんなに熱かったっけ……?
 まだ何も始まってないのに。
 ズボンのファスナーとボタンがはずされた。運動着の半ズボンが下着と一緒に足首まで降ろされる。邪魔な靴も脱がされ、なぜか靴下だけが残され、下半身がむき出しにされた。
 オレの足を開き、夏生の身体が割り込んできた。膝の傍に夏生の顔があった。
 目が合う。
 夏生が鮮やかに笑った。ドキリと鼓動が弾んで思わずうつむいたオレは、何でこんなに動揺してるんだろうと悩み、焦った。
 下半身で熱くなりつつあるものを夏生の指が捉えた。その指は遠慮なく動き、すぐに夏生の口の中に包まれた。舌と指で愛撫されたものが、みるみる熱を持った。
「……あっ……あ……んっ」
 思わず声が喉から洩れて、死ぬほど恥ずかしくなった。
 久しぶりに夏生に刺激されたそれは、思ったよりも早く達した。なんでこんなに敏感なのか自分でも不思議だった。夏生の喉が上下する姿をぼんやりと眺め、身体中を占める鈍い痺れに浸っていた。
 両足を持ち上げられた。腿があがり、膝が折曲げられて夏生の肩に乗せられた。そんな風にされると、オレの下半身の口は夏生にさらすことになってしまい、夏生が舌を使ってそこを濡らした。
「ん……っ」
「……気持ちいい?」
 囁きのように聞こえる夏生の声に対して、オレはかすかに頷いていた。頭の中はもうどうかなっていて、晴正に対する罪悪感も薄かった。サイアクだなオレとか思いながらも、夏生の愛撫に酔いしれる。
 指が中に入ってきて、丹念にほぐされた。そうされるまでの間に、夏生は何度かシャッターを切っていて、その都度オレは魂が抜かれていくみたいに抗う力をなくした。
 オレの中を夏生の指が出たり入ったり繰り返す。その指を締めつけたくなって少し身体に力を入れた。夏生の小さな笑い声が聞こえた。
「やだな……勝馬、そんなに飢えてるの?」
 セックスに飢えてるわけじゃない。たぶん……夏生に飢えてるんだ。
 夏生の顔が上にあがってきて、オレの顔と同じ高さになった。端正な顔がオレを愛しげに見つめ、唇が近づいて来た。オレはそれをすんなりと受け入れ、さらに頭がぼんやりとしていく。
 夏生は自分のズボンを緩め、脱がないまま腰を寄せてきた。夏生の欲望がオレの肌に当たって、その感触だけでオレはおかしくなりそうだった。
「いいカオ……」
 夏生の満足げな囁きが聞こえた。
 下半身に圧迫感が来た。夏生がオレの身体を割って入ってくる。それを受け止めながら、末田は今ごろどうしてるんだろうなんて一瞬違うことを考えた。
 夏生と当り前のようにこんな真似してるオレを、晴正と末田はなんて思うだろう。仁科たちだと死ぬほど嫌なのに、夏生だと嫌じゃないどころか自分でも求めてる。
 ……そうか。オレは夏生から求めてくれるのを待っていたんだ。疎遠になって夏生が近寄って来なくなってからずっと、身体のどこかが飢えていた。だけどオレから望むのは今まで拒み続けてきたプライドが許さなかったし、晴正に悪いとわかってた。夏生に飢えていても、オレは晴正が一番好きだし、どちらか選べって言われたら迷わず晴正を選ぶ。
 きっとオレはズルイんだ。だから夏生も欲しいんだ。
 夏生が変ないじわるさえしなければ、オレはいくらでも夏生の言いなりになるだろう。身体がそれを望んでる。夏生を求めてる。
 夏生は激しく腰を動かし、オレは揺さぶられるまま何度か頂点に達した。夏生のセックスは相変わらず上手くて、眩暈がするほどの強い刺激を与えてくれる。
「あ……っ、あ……ああっ」
 ここがどこかもわからなくなって声をあげた。夏生はオレとつながったまま写真を撮り、寄り添っては撮り、キスをしては撮った。
 熟れたように痺れる身体を夏生で満たしながら、オレはいつ終わるのかなって少し考えた。夏生のセックスはこれまでおあずけ食らっていた分だけ、激しくて長かった。達してもまた夏生は動きだし、全部絞り尽くされそうな恐怖があった。それもまたオレの中の快感に結びついて、壊されたいと思ってしまった。
 夏生は再生よりも崩壊の方が似合う。だけどそれで駄目になったりしないで、知らぬうちにひそかに復活してる。そうしてまた誰かを巻き込んで破滅へといざなう。
 そんな感じだ。
 頭の中がおかしな状態に染まったまま、オレはぼんやりとしていた。その間に後始末は終わってしまったみたいで、夏生の手が縄をほどき、オレは自由になった。夏生の顔が迫ってきてキスを求めてきたので、オレは少し唇を開いてやる。彼とのキスは気持ちよくて、何も考えられなくなった。
 唇が離れ、夏生の手がオレの頬を撫でた。その手は移動し、今度は髪を撫でられた。ついオレは目を閉じてされるままになり、夏生の手が離れたので開いた。
「……どうすんの、それ」
 夏生は使い捨てカメラの様子を見ていた。「まだ三枚残ってる……」と呟くと、こっちにレンズを向けてシャッターを押した。答えてくれないから、オレはもう一度訊いた。
「それ、どうすんの」
「現像するに決まってるだろう。二十四枚のきみが写ってる。いくらなんでも写真屋には出さないよ。僕の知り合いで写真部の奴がいるから、そいつに頼めばいい」
「……その人、見るよね。必然的に」
「そうだね。でも平気だよ。彼もまた、僕とそういう関係になっている一人だから」
 ……ああそう。
 やっぱり夏生は何も変わっちゃいなかった。なんだか急激に醒めた気持ちになって、オレは脱がされた下着と半ズボンを拾って身につけた。靴もはいた。
 立ち上がると……身体がやけにだるかった。腰が異様に重い。鉛でも抱え込んだみたいだ。やっぱ……一度にやりすぎだったよな、あれは。
「ここどこ」
「旧校舎の教室。使われなくなって随分経つ建物だよ。じきに解体するみたいだけど、いつやるのかな」
「……そう言えば、そんなのあったな」
 頭がボーッとする。すごく疲れた。下腹部がまだ痺れてるし、余韻が残っていた。さっきまで夏生としてたことが自然に頭の中をよぎって、それだけでまた身体が反応しそうだった。
 ぐい、と夏生に引き寄せられた。また唇を奪われて、濃厚なキスをされた。唇が離れていくのと同時に、夏生が囁く。
「これで終わり。最後だからね」
「……え」
 思わぬ言葉に驚いて見つめた。夏生は嘘をついているわけじゃなさそうで、真顔だった。
「さいご……?」
「そう。だってきみが望んだんだろう。僕よりも長沢がいいって。僕なんかいなくてもいいって、そう言ったのはきみだよ。だから僕はもうきみには触れない。二度とね」
 いきなり胸が痛くなった。なんでそうなるんだ。夏生なんかどうだっていいだろう? いつも好き勝手に生きて、常識はずれなことばっかりしてて、さんざんオレのことを振り回す。それで何度被害にあったか。
 唇を噛みしめた。確かにオレが望んだことだ。夏生はいらないって、いなくても平気だって、そう言ったんだ。残酷な一言。夏生は傷ついたんだろうか。
 夏生って傷つくことがあるんだろうか?
「さて、と」
 夏生は外に出ても恥ずかしくないように服装をきちんと整えた。カメラを顔の高さに持ち上げて笑う。
「じゃ、僕は現像しに行ってくるから。……ああ、まだきみは狙われてるんだったね。途中まで送ってあげるよ。僕が奴らに証拠見せるまで、強姦されないように気をつけるんだね」
 なんだかすごく変な会話。
 強姦した夏生がオレの心配をして、さらには送ってくれる。厳密に言えば強姦じゃないけど。
 このまま教室になんて戻れないような気もしたけど、他に行く場所もないか。帰ろうにも荷物は教室の中だし……。
「……夏生は、好きでもない人ともそういうことするけど、何が楽しいんだ?」
「ばかだな。男の身体って、好き嫌い関係なく出来るんだよ、そういうこと。気持ちよければいいってこと。勝馬の身体だってそうだろう? だから長沢以外の、僕とか他の奴らに対しても反応するんだ」
 ……夏生のことは、嫌いじゃないけど。
 なんてことは口に出さない。
 廊下でオレの前を歩く夏生の後ろ姿は綺麗だった。顔だけじゃなくて、スタイルもいい。かといって、男らしい体格してるわけじゃない。オレとそんなに変わんないような、細身の身体。きっと他の連中と寝る時は、抱かれる側なんだろうな。
 オレが夏生だった時は、周りの扱いが完全にそうだったし。
「……ほんとに誰かを振り向かせたかったら、苛めるより大事にした方が好きになってくれると思うよ。夏生はルックスいいんだからさ」
 思わず口をついて出た言葉に、夏生が驚いたように振り返った。
 しばらくまじまじとオレを見たかと思うと、笑って肩をすくめた。
「それが出来る性格なら、とっくにやってるだろうね。僕の場合は駄目だよ。本気で好きな相手ほど、傷つけたくて仕方がないんだ」
「難儀な性格だな」
「そうだね」
 不思議なことに夏生と普通に会話をしている。
 こんなこと今まであったっけ?
 会話の内容は普通じゃないけどさ。
「現像したやつ、全部見せんの?」
「まさか。三枚くらいだよ。あとは全部僕の」
 ズキッと身体のどこかが反応しかけた。
 まだ余韻残ってんのかな。
「捨てろよ」
「なんで。嫌だよ」
「夏生がいつもそれを見るのかと思うと……困る」
「何が困るの? 僕にとってはおいしい写真だよ。ああ、それを見てひとりでエッチするかもしれないから?」
「考えるだけでも嫌だな」
「どうせきみの見えない場所でするんだから、問題ないじゃないか」
「見えなきゃいいってもんじゃないだろ」
「写真なくたって僕はきみを思い浮かべてるんだよ、いつも」
「……」
 言葉が詰まって先に進められなくなった。身体の奥底から何かがずきずきと疼く。あれだけやってまだ足りないのか?
 夏生が声をたてずに笑った。
「言葉だけで勝馬は感じるようになったんだね。他愛ない会話なのに。僕がきみのことを考えている、それだけできみの身体は反応する」
「ちがうっ」
 ムキになった、と自分でもわかった。
「都合のいいように考えるなよな。オレは別に夏生のことなんかっ……」
「本当に嫌いなら、もっと死ぬほど抵抗するよ。自分の身を守るために僕を殺すかもしれない。本気で嫌ならそれくらいのことするのが当然だ。乱暴されそうになったんだから、一応、正当防衛ということにできる。証拠さえ揃えばね」
「なんですぐそうやって、極端に話を進めるんだ」
「極端? 本気で言っているのなら、勝馬は僕のことを嫌いだと思っていない証拠だよ。どんなに穏やかな人間だって、自分の身は守りたい。それは当然のことだろう? はっきり言ってあげるよ。きみは僕のことが好きだ。だから僕が手を出すとあっさりと落ちる。同時に、長沢のことも好きだ。たぶん、僕のことよりも好きだ。だから選択させると長沢を選ぶ。それで、きみはどうしたい?」
「……どうって……、なにが」
「きみの身体は本当は僕を求めてる。それが痛いくらい伝わるよ。たぶんそれは、僕とのセックスが最高級で、他の誰からも得られないものだからだ。気持ちがそれについて行けずに、長沢との板ばさみになって苦しんでいる。心が求めているのが長沢だからね。僕と長沢を足して割ることが出来れば非常に都合がいいけど、そんなこと現実には不可能だ。きみは掛け持ちが出来ないからね。だから必然的に、僕と長沢のどちらかを選ばずにはいられない立場に置かれる。僕の言葉に感じてせつない顔になるなら、いっそ僕を選んだら? って言いたくなるけど。それでも、どうしても長沢を選ぶと言うのなら、今度こそ本当に僕はきみに触れない。……最後の選択肢をあげようか。僕と長沢、どっちを選ぶ?」
「……」
 頭が混乱した。
 そりゃ確かにオレの身体は、夏生が相手だと狂ってしまう。夏生のいいなりだ。
 でも夏生が指摘した通り、気持ちの方は晴正を求めている。
「そんなこと……いまさら」
「今でもまだ間に合うよ」
 夏生は目の前の欲望だ。身体だけの関係になるなら、これほど最適な相手はいなかった。だけど夏生は、僕の心の天秤の上では晴正ほど大事な存在じゃない。そこまではちゃんとわかっている。夏生は抗い難い誘惑としてオレの目には映っている。
「オレ……晴正が好きだから」
「そう」
 意外とあっさり夏生が告げた。それきり背中を向けて歩きだし、つられるようにオレも足を動かした。どきどきと必要以上に鼓動が鳴る。
 夏生とは本当に別れてしまった方がいい。でなきゃ、泥沼にはまる。夏生はオレにとって破滅へと向かう象徴だから、穏便な毎日や平穏な静寂を求めるなら絶対に晴正だった。夏生の刺激は花火のようで、その時はいいけど後が怖い。夏生の誘惑に負け続ける果てに何があるのか想像はつかなかったけど怖い気がする。
 柚木勝馬という人間がひとり壊れるのか?
 壊れた果てには何があるだろう?
 夏生の欲望に浸り、その世界の底には何があるんだろう?
 ぞっ……と背筋が寒くなった。
 夏生は一度その気になると、相手を監禁しかねない人間だ。閉じ込めて愛して、愛しすぎて殺してしまいそうだ。その果てには狂気の世界が待っている。
 夏生を選んではいけない。
「オレ、晴正と別れないから、絶対」
「……わかったよ、もういい」
 夏生の背中は、心無しか拒絶するような冷たさが宿っていた。それでいいと思った。夏生とは必要以上に関わっちゃ駄目だ。もうやめよう。本当にこれで終わりにしよう。
 そしてオレは晴正の元へと還るんだ。

つづく