天国の終末 15

 一週間が過ぎた。
 オレと晴正のよりは戻り、夏生は視界に入る場所には来なくなった。
 訊きづらかったけど、それとなく晴正に尋ねてみたら、夏生は今まで通り何も変わった様子がないと言う。
 そんなはずない、と即座に思った。
 だけどオレは夏生の様子を見るわけにはいかなかったし、もし夏生が落ち込んだり暗くなったとしても、晴正と別れて夏生を選ぶつもりもない。
 でも気にかかる……そんな自分が許せなかった。
 あいつにはひどいことしかされてない。だから本当はすごく嫌な奴のはずなのに、嫌いとか憎いとかの気持ちが薄い。
「……どうした?」
 晴正の部屋で二人きりでいるのに、思考が別の場所にいたことを恥じた。なんでもない、と誤魔化すように笑顔を浮かべて、晴正の肩に寄り添う。
 晴正の腕がオレの肩を抱いた。唇が近づいてきたから、目を閉じた。
 完全に夏生をふっきれたらしい晴正は、素直にオレを抱くようになった。誰にも邪魔をされず、幸せなひととき。何の不満もないはずだった。
 なのに、何かが足りない……そんな風に思うのは何故。
 ──刺激。
 刺激が足りない。
 ……なんで、そんな風に考えてしまうのか。
 あれからたった一週間しか経っていないのに。
「勝馬?」
 離れた唇から疑問符が飛び出した。オレは思わず目を開ける。すぐ傍の晴正と視線が絡んだ。
「なに考えてる?」
「……なにも」
 なんでそんなこと言うの? と問いかけるような眼差しで、甘えるような声で囁く。ほらこんなにも晴正には素直になれるはずなのに、どうして夏生のことなんか思い出してしまうのだろう。
(きみはいつも長沢の前ではいい子になろうとするからね)
 一週間前に夏生が言った台詞が脳裏を走った。
 そうかもしれない。だって晴正のことがすごくすごく好きなんだ。
 それなのに?
「……昨日も、こんな風にぼんやりしたね。なにか違うこと考えてるだろう?」
 晴正は勘が鋭い。
 って言うか、観察してる……オレのこと。
 だからなんでもバレてしまう。
「考えてないよ」
「嘘」
 晴正の手がオレの髪を撫でた。両手がオレの頬をつつんで、正面から見つめられる。
「……ほんとうは、夏生のこと好きだった?」
 オレは左右に首を振った。
「人間はね、なにもひとりしか愛せない生き物じゃないんだよ。理想では、たったひとりの人を永遠に愛したい、みんなそう思ってる。だけど、人間の気持ちってのはうつろいやすく出来ているんだ」
 ずっと前に……どこかで聞いたような気がした。似たような言葉を。
「オレは、ずっと晴正だけを愛したいよ?」
「俺も勝馬だけを愛し続けたいよ」
 唇が触れた。そして深く重なった。
 ……夏生は、それでもまだオレを好きなままなんだろうか。
 他の誰かを愛する日が来るんだろうか。
 身体をそっと床に倒され、晴正が上から優しく見つめた。晴正の手がオレの服を脱がしていく間、まだ何もはじまってないのに身体が疼くのを感じた。
 夏生に開発されたような身体でも、晴正は何も言わず優しくしてくれる。
「ん……」
 晴正に誘導されるように快感の波が全身を走る。触れられる箇所からジワジワと熱が広がっていく。
「……あっ」
 まぶたにキスされた。頬へと移動して、さらに首筋をかすめる。剥きだしにされた鎖骨を強く吸われ、胸へと移っていく。
 晴正の指が、オレの胸をいじった。敏感なほど感じて、頭の中が真っ白になる。
「……勝馬」
 囁きが耳に届いた。いつの間にか下半身もあらわにされ、晴正の手に乱されていく。
 びくっと身体が揺れた。
 ほぐすように指がオレのなかを動く。その律動にすべてを委ねて、声をあげた。
 晴正自身が入って来た時、オレはもう、半分くらい狂っていたかもしれない。

 校内での夏生との噂は自然消滅した。晴正から聞いた話で、夏生が相変わらず他の奴と自由に過ごしていることを知る。結局、夏生は夏生のままだった。
 そんな夏生とばったり出くわしたのは、疎遠になってから一か月後のことだった。

 先生に頼まれたプリントの束を持って職員室から出た時だ。
 偶然(だと思う)廊下を歩いていた夏生と、目が合ってしまった。
 思わずうろたえてしまったオレを、夏生は醒めた目で見ただけだった。そのまま会話もなく素通りする。去っていく夏生の背中を、反射的に目で追った。
 何事もなかったように夏生の背中が小さくなって、やがて消えた。
 ドキドキと心臓が早鐘を打つ。同時にすごく落胆してる。
 夏生は完全にオレと縁を切ったんだ。……そう確信して、寂しくなった。
 勝手だよなオレ。あんなに嫌がったくせに。
 夏生のこと邪険にして、傷つけて、追い払ったくせに。
 オレの中のどこかできっと、夏生に対して甘えてる気持ちがあった。夏生がオレのこと好きなんだという気持ちに、甘えてたんだ。オレが何したって嫌われないと。
 傍に寄ってくると逃げるくせに。そっぽ向かれたら気になるなんて、なんて勝手なんだ。オレには晴正がいる。晴正だけがいればいいと思ってたくせに。
 追いかけはしなかった。そんなことしたら、夏生にチャンスを与えてしまう。
 だけど後ろ髪ひかれた。何がオレをこんな気持ちにさせるんだろう。

 平穏な日々は続いた。あの日以来、他の奴らに襲われるような事件もなく、晴正とラブラブな状態のままだった。夏生も関わってこない。
 幸せ……なはずだった。
 幸せでなくてはならなかった。
 晴正とつきあうようになってから、いつの間にかちゃんと勉強するような奴になってたオレは、晴正の志望する大学を狙うことにした。晴正は出来がよくて、そこまで追いつくのは大変だ。
 晴正が熱心に勉強を見てくれたから、なんとかギリギリで受かるかもしれない。
「また、ぼんやりしてる」
 晴正の部屋で勉強を教わっていた時だった。
「時々、心ここにあらずの状態になるな。まだ夏生のこと気になってるの?」
「違う」
 懸命に否定すると、晴正が笑った。
「そんなにムキになることないよ。冗談なんだから」
 ……試されてる。
 そんな気がした。
 晴正は、オレと夏生の関係をどう解釈してるんだろう。オレにとって、夏生がどういう存在だと考えてるんだろう。
 晴正の顔が近づいてきたから、オレは目を閉じた。
 晴正とするキスが好きだ。セックスも。
 なのにどうして、夏生のこと思い出したりするんだ。
 身体が押し倒された。
「……べんきょうは?」
「後で」
 きっとオレが集中しなかったからだ。
 晴正はオレのズボンと下着を脱がせてしまうと、少し長めの前戯をしてから中に入って来た。そしてオレは晴正の一部になって、溶けていくような錯覚をする。
「ん……んっ……」
「好きだよ」
 耳元での囁き。幸せの呪文。
「好きだ」
 幸せすぎて死にそうだ。
 このまま死んでもいい。
 それくらい晴正のこと好きなのに。
「……はる……まさ」
「……ん?」
「すき」
 しがみつく。うわごとのように好きと繰り返す。
「だいすき」
 乱れた息の隙間で伝えるメッセージ。愛の言葉。
 大好き。
 だから何も気にしなくていいんだ。夏生のことは忘れてしまえ。
 狂犬にかまれただけなんだから。

 晴正の部屋は二階にある。
 一軒家の一階には、彼の母親がいるはずだった。
 ぼんやりと床に横たわったオレは、ふと気がついたので口にした。
「……声、聞こえてないよね?」
「さあ」
 晴正が苦笑した。
「でもいいよ。聞こえても」
 オレはびっくりした。晴正がそんな開き直った言葉を吐くなんて思わなかったからだ。
「晴正?」
 真剣な色の瞳がこっちを向いた。
「俺……いろいろ考えたんだけど、勝馬のことがこんなに好きなのに、将来ふつうに結婚できるとは思えないんだ。だから……いつかバレてもいいかなって」
「で……でも」
 卒倒されるよ、それ。
「なに言われてもいいんだ。そう決めた」
「……晴正」
 じん……と胸の奥が熱くなった。俺は床から起き上がって、晴正に抱きついた。
 自分からキスを求めた。甘えながら。
 いつの間にか、オレって甘え上手になってる。全身で愛してってシグナル送って、晴正をこっちに引き寄せようと頑張ってる。すぐ傍で愛してくれるのわかってるのに、離れてほしくなくてまたシグナル送って。
 自分でもこんな風になるなんて思わなかった。
 でも、それもこれも、元をただせば夏生に繋がってしまう。オレと夏生が事故で入れ替わって、初めて晴正の存在を知った。晴正はもともと夏生が好きで、オレはオレで夏生と半分つきあってるような感じだった。夏生の姿で晴正と仲良くなって、夏生の邪魔をかいくぐってつきあって、今がある。
 オレにとって夏生ってなんだろう?

 夏生と疎遠になって、晴正とつきあっていても、身の危険が消えたわけじゃなかった。
 仁科と坂西と片野の三人は、まるで協定でも結んだようにつるんでいた。時折、オレを見かけた時に、ひそかに囁き合っている。また何かたくらんでるのかもしれないと思うと、背筋が寒くなった。
 晴正は出来る限り傍にいてくれたし、クラスにいる時でもひとりにはならないようにしていた。だからあれ以来、とりあえず無事だけど……。
 でも、時にはひとりになることもある。そこを狙われたらアウトだ。相手が三人もいたら勝てない。
「勝馬、なんか、おまえのこと呼んでる人来てるけど」
 次の授業の準備してた時、末田が傍に来た。オレに話しかけづらそうにするのは、たぶんオレがよそよそしくなったせいだろう。
「誰?」
「知らない。そこに立ってる人」
 末田が指差した先は廊下の方だった。開いた窓の合間から見えたのは、仁科の姿だ。
 全身が緊張した。
「なんであいつが……」
「追い返そうか?」
 何を察したのか、末田が言った。
 追い返したいのはやまやまだけど、何の用なのか非常に気にかかった。
「ここで見ててくれ。もし、どっかに連れて行かれそうになったら止めて」
「そんなヤバイ奴なのか?」
 緊張が伝わったのか、末田も真剣な顔になってた。
「うん。ヤバイかもしれない」
「じゃ、行くのやめとけよ。無視しちゃえよ」
「そういうわけにもいかないんだ」
 廊下に出た。
 仁科はオレを見つけると、嬉しそうに笑った。
「久しぶり」
「用件は」
「冷たいな」
 オレの態度のことだろう。
「用件はなに」
「俺、夏生のことやめたんだ。なかなか手に負えない人だからさ。どうも、こないだの一件ですごく嫌われちゃって、全然相手してくれなくなっちゃった」
 だからなんなんだ。
「俺だけじゃなくて、片野と坂西も嫌われちゃったみたいでさ。寂しいんだ、すごく」
「だから?」
「冷たいなぁ。こないだのことまだ怒ってんの?」
 当り前だ。
 こうして面と向かって喋るだけでも嫌なのに。
 黙ってたら、仁科は困ったように笑った。
「単刀直入に言おうか。俺、実はおまえのこと好きになったんだ」
 げ。
 なんだよそれは。
「ずっと夏生のことしか見えてなかったんだけど、玉砕しちゃったしね。その原因はおまえに手を出したせいなんだけど……」
「オレ、晴正とつきあってるから。それにこの前のことは許せない」
「晴正は本命だろ? だからアソビで俺ともつきあっちゃえよ」
「嫌だ。断わる。絶対に嫌だ」
 オレがはっきり言うと、仁科が苦い顔をした。でも予想外ではなかったようで、態度は落ち着いている。
「ま、三人でいつも狙ってるからさ。これはゲームだ。俺たちは狩人。おまえは獲物。そういう風に決めたから」
「……っ! そんな勝手なゲーム作るなよっ!」
 ぎょっとして、思わず大声になった。
「しーっ。クラスメートに聞こえるぞ。だから、せいぜい隙を作らないように。隙があったらさらって襲う。そういうゲームだ、いいね?」
「よくないっ! なに考えてんだよ、おいっ。そんなの承知しないぞっ!」
「それを伝えに来たんだ。じゃあな」
「ちょっ……」
 仁科が駆け去って行った。オレは茫然と廊下にたたずみ、逃げて行く仁科の背中をただ見ていた。
 な……何が起こったんだ?
 落ち着け、どういうことだ?
 まず、オレはターゲットにされた……らしい。
 ターゲットにされた理由……。わからない。
 三人ってのは、仁科と坂西と片野のことだろう。
 たぶん夏生は関与してない。嫌われたって言ってたし。
 夏生がターゲットだったら成り立たないゲームだ、これは。
 夏生は手強いから。
 オレなら成り立つ?
 そんなのってあるか?
「勝馬」
 末田が廊下に出て来た。心配そうな表情で。
「顔色サイアク……大丈夫か?」
 オレは左右に首を振った。ぜんぜん大丈夫なんかじゃない。
「なに言われたんだ?」
 またオレは首を振った。こんなこと……言えない。
「勝馬?」
 末田に腕をとられた時、ガクンと膝から力が抜けた。
「勝馬! おい、大丈夫か?」
「あ……あれ?」
 気持ちが悪い。吐きそうだ。支えてくれる末田にオレは寄りかかった。
「勝馬、なに言われたのか言えって。俺、仕返ししてやるから」
「……言えない」
「バカッ!」
 頭の真上で怒鳴られた。驚いて、オレは見上げた。
 末田は顔を真っ赤にして怒ってた。
「俺はずっとおまえの友達のつもりだったんだ。おまえは俺をふったことで、勝手に気まずくなってたけど、俺は別に気にしてなかったんだ。だって俺、おまえのこと何があっても好きだし、他の奴とつきあっててもそんな理由で嫌いになんかなったりしない。だからこんな風に、何かあったのに黙ってられたら腹立つんだ。頼むから言ってくれよ」
「……」
 末田の気持ちが痛いくらいに伝わってきた。
 いい奴なのはわかってる。
「聞いたら、驚くよ……」
「それでもいいから」
 オレは口を開いた。さんざんためらった後で。
「ゲームの、ターゲットにされたんだ」
「ゲーム?」
「あいつ、オレのこと好きだって……それで、標的にしたみたい」
「なんだそれ?」
 末田が眉をひそめた。
「簡単なゲームだよ。オレの隙を見つけて、さらって、犯すゲームだって」
 声に力が入らない。
 なんでこんな諦めモードになってるんだ?
「な……なんだよそれ」
「口実だよ、きっと。あいつら、オレと寝たいんだ。だけどオレ、夏生じゃないから、遊びで相手になんかしないから……」
 夏生とつきあえなくなったから、だからオレ?
「なに考えてんだ、今の誰だ? 俺、怒ってくる!」
「だけど!」
「止めるのかよっ!」
「なに言ったって無駄なんだ、あいつら!」
 なかばオレを引きずりながら走ろうとしてた末田は、それはもう苦い顔で振り返った。
「だからって黙ってられるかよっ。隙ってなんだ? おまえをひとりにしなきゃいいのか。そういうことだよな! よし、わかった!」
 末田は決心をかためたような顔をした。
「俺ずっと、おまえに張りついてることにする。おまえに彼氏いるの知ってるけど、そいつともちゃんと話するから。いいな?」
「えっ……」
 は……晴正に、言うの?
「ふたりで見張ってれば平気だろ? おまえのことオモチャみたいに扱わせてたまるかよ。冗談じゃない!」
 末田が拳をかためる。心強いけど……それで本当に大丈夫なのか。
 あいつら三人、非常識なところ多いし。
 ……夏生も非常識な奴だけど。

つづく