天国の終末 11

 食事は母親に部屋へ運んでもらい、あとはベッドの中でごろごろしていた。
 学校に行けば夏生がいる。晴正もいるけど、夏生に対する脅威の方が勝っている。
 オレはこうして夏生から逃げて、逃げて……どうなるんだろう。
 どうにもなりはしない。一生顔も会わせず生きていくなんて無理だ。夏生はオレの身体の中で生きていて、いずれ元に戻る日が来るかもしれない。
 オレは夏生だ。
 そして夏生はオレだ。
 こんな気の狂ったような中でオレたちは生活してる。同じ境遇だから、本当なら運命共同体のように協力しあっていくべき相手。けれど夏生があんなだから、協力なんて不可能。夏生はオレをおもちゃのように転がしていく。
 気がつけば、時計の針は昼の十二時を指していた。
 ドアがノックされた。
「夏生、お母さん用があって出かけて来なくちゃならないの。ひとりで大丈夫かしら?」
「うん……大丈夫だよ」
 返事をすると、母親は部屋の前から離れて行った。
 それから数分後、再びドアがノックされる。
「夏生、お友達がお見舞にきてくださったの。開けていいかしら?」
「どうぞ」
 晴正かな。
 でも、昼間の十二時なんて、変だよな……。
 今日、平日なのに。テストの時みたいに半日で終わる日じゃないし。
 誰だろう……。
 ……っ。
 ……まさか?
 部屋の扉が開くと、真っ先に母親の姿が目に飛び込んだ。それからゆっくりと、後に続く人物の方へと視線を移した。そこに立つのは。
「……なつ……勝馬」
 やっぱりという思いがオレの中で広がった。
「どうぞ、ゆっくりしていって。夏生、お母さんね、今日はちょっと遅くなるから。夕飯ひとりになるけれど、あっためれば食べられるものを用意しておきますからね」
「あ……うん。……いってらっしゃい」
 本当は出かけてほしくなんかなかった。でもその理由が言えない。
 こんなところで夏生とふたりきりにしないで。
 母親が出て行った。扉が閉まった。
 ……。
 ふたりきりになった。
 夏生は何事もなかったような普通の顔でオレの方へ歩いて来た。
「どう? 調子は。顔色は悪いようだけど」
 夏生の右手が、オレの額にかかる。オレはつい、びくっとしてしまった。
「……怖いの? 僕が」
 夏生が寂しそうに笑った。
「熱はないようだね。これは精神的なものかな。登校拒否で具合が悪くなる時って、本当に身体の調子が狂うんだってね。頭痛とか、腹痛とかね。きみもそれかい?」
 オレは口をきかなかった。
 黙り込んだまま、夏生を見てた。
「なに? 何かの病気? まさか、おかしくなったわけじゃないよね。あの程度で壊れるほど、きみも軟弱には出来ていないだろう?」
「……何しにきたんだ」
「お見舞以外の何だと思うの? それともセックスしに来たとでも? 状況しだいではそうしたい気もあるけど。母さんがタイミングよく出かけてくれたみたいだしね。丁度いい時に来たよ。運がいい」
 夏生の手が、額から頬へと移動した。それから首へと……。
「ねえ、首、絞めていい?」
 ぎょっとした。
「……っ、いやだっ」
「やだね、本気にしたの?」
 唇にキスされた。
 夏生の舌が入ってくる。いたぶるのではなく、包み込むようなキスに、一瞬オレは目眩を覚えた。
「……こんな顔、するのにね」
 かあっと顔が熱くなった。
 これじゃまるで、誰でもいいみたいじゃないか。
「本当はどこも悪くないんだろう? あんまり元気そうにも見えないけどね」
 夏生が布団をはがそうとしたから、オレは必死でつかんだ。
「する気ないから、オレ」
「ふうん」
 意外なほどあっさりと夏生は引いた。部屋の中を見回す。
「なつかしいね……僕の部屋だ」
 オレは布団にしがみついたまま、そんな夏生を見た。
「この部屋で、勉強以外に何をしてたんだ?」
「え? きみのこと考えながらひとりエッチしたよ」
「……」
 そんなことは訊いてない。
 なんでこう、まともなことは言わないんだ、こいつは。
「昨日は、長沢としたの?」
「……してない」
「なんで?」
「おまえじゃないんだ。場所もかまわずやったりなんかしない」
「ふーん……」
 夏生は面白ものでも見るように、オレを見た。ベッドの縁に腰掛ける。
 危ないシチュエーションだった。
「僕としようか」
「いやだ」
「どうして? 今さらじゃないか。どうせ誰もいないんだ」
「帰れよ」
「ここは元々僕の部屋だよ」
「でも今は違うだろ。出てけよ」
「いいの、そんなこと言って?」
 顎に手がかかった。夏生が覗き込んでくる。間近で視線が絡み、不覚にも鼓動が早くなる。焦りとわずかな畏怖と……かすかな期待?
 そんな気はないはずなのに、夏生に触れられると少し自分が変になるのがわかった。
「きみを仕込んだのは僕なんだ。だからきみは長沢とだって気持ちよく寝られる。きみにたくさんの経験をさせて、方法を覚えさせてあげたのは僕だ。……きみは、誰としたのが一番気持ちよかった?」
 夏生の唇が迫って、オレに重なった。
「……ま……待て、よ。おまえ勝手だ。体育倉庫で、あんな風に扱われて、オレはすごく嫌だった。たくさんの経験? そんなの誰も頼んでない」
「僕はきみのことを嫌いになったんだ。だからどんなひどい真似をしても許される」
 夏生の眼差しに冷めた色がまざった。それを見て、またオレは怖くなる。
「オレが何をした? おまえのこと好きにならなかったから? 晴正と仲良くなったのが不満なのか? じゃあ、オレがおまえのこと世界で一番好きになれば、そうすれば気が済むのか?」
「言っただろう。僕はきみをぐしゃぐしゃにしたくなるんだ。痛めつめてボロボロにして壊してしまいたくなるんだ。……壊れる寸前で拾って、優しくして、そしてまた壊したくなる。……そういう感情なんだ、僕が誰かを好きになるって言うのは。きみを好きになって、初めて知った感情だ。ひどく……歪んでいるけれどね」
「姿が、違うのに? これはおまえの身体だ。それでも?」
「そんなの関係ないよ。中身はきみなんだから。僕はよく男とセックスする時、鏡のあるところを選ぶんだ。そんなことするようになったのは、姿がきみになってからだよね。きみがそういう時にどんな顔をするのか知りたくて、鏡を見るんだ。きみはとても色っぽくて可愛くて、僕はそんな姿を見てゾクゾクする」
 髪を撫でられた。それだけで、オレの中の何かが揺らいだ。身体の奥底から、ゆるやかな痺れと熱。夏生にはロクなことされてないのに、なぜかそうなった。
「……きみは、こんな言葉だけで感じるの?」
 見透かされて、身体中が羞恥で熱くなった。顔を背けると、夏生の手が追ってきた。
「逃げないで」
 頬を包み込まれた。夏生のキスに唇が塞がれ、甘くオレの中に浸透した。首筋へとキスが移動して、喉へ、鎖骨へと場所を変える。
 気がつけば、布団はめくられて、夏生の手はオレの身体をまさぐっている。脱がされて肌にキスされるたび、オレの身体から力が抜けていった。
 夏生が嬉しそうに笑った。
「……ああ、きみはもう、こうされると逆らえないんだね。なるほど、僕は特別扱いか。体育倉庫で嫌がって暴れていたのが嘘みたいだ。僕がいいんだね?」
 確認するような声が聞こえた。オレは返事をせず、顔を背けた。
「僕はきみの親のようなものだからね。一番最初に教えたんだから」
 夏生の肉体はオレの意志に反して、本物の夏生が与えてくる快感に従った。本当はこんな真似をしたくはなかった。けれど……。
 夏生の愛撫は心地よかった。つい、酔いしれてしまうほどに、よかった。身体がそれを覚えてしまったから、夏生には逆らおうとしなかった。それはオレの意志でもあるのか……それとも、夏生の身体に意識が操られてしまっているのか。
 すべて脱がされ、夏生のいいようにされた。他の誰かだったらきっとここまでさせない。下着すら奪い取られ、夏生の口に含まれて舌でなぶられる。オレは喘ぎながら身をよじらせて、ますます夏生を喜ばせてしまう。
 足を開かれ、その中心を指でほぐされ、やがて夏生を受け入れた。
 ギシギシとベッドがきしんだ。オレは自分で何をしているのかよくわかっていなかった。夢の中でさまよっているような感覚で、夏生の動きに合わせている。
「……夏生」
 その名前で何度呼びかけられてきただろう。耳元で囁かれ、本当に自分が夏生のような気がしてくる。
 そして目の前にいる勝馬が、元々オレだったことも夢か何かに思えてくる。

 意識が……消えた、らしい。
 気がついた時、オレは裸でベッドの中にうもれるようにして寝ていた。
 隣を見ると、夏生がいる。その手にあるのは……煙草?
「……不良」
 思わず口をついて出た。
 夏生が笑ってこっちを向いた。
「きみも吸うかい?」
「いらない」
 そっぽを向いた。それからオレは、自分のしたことを少しずつ思いだした。
 また、夏生のいいように扱われてしまったのだ。
 晴正にしか開かないつもりの身体を、夏生に開いてしまった。
 オレは抵抗らしき抵抗もせず、あっさりと夏生を受け入れてしまったのだ。
 襲いかかってくるのは、晴正に対する罪悪感。
 どうしてオレは……。
「きみは嫌だ嫌だと言いながら、僕のこと少しは好きだろう? まさか特別扱いしてくれるとは思っていなかったよ。そうだね、人間はたったひとりの相手しか愛せない生き物じゃない。同時に何人か本気でいいと思うことだってある。きみは確かに長沢に心を開いているけど、僕には親近感があるんだろう。同じ境遇だからね。それにほら、きみは本当は誰かに愛されていたいタイプだ。僕がこうしてきみのことを好きだと言い続ける限り、きみは拒めない」
「……そんなことない」
 それは違った。だって仁科や他の連中に好きだと言われても、心は動かないし、触られるのも嫌だ。
 あ……オレに言ってるんじゃなくて、夏生に言ってたんだったっけ。
「長沢の、どこが好き?」
「あいつは……優しい」
「僕は優しくない?」
 何言ってんだ。いつ優しかったんだ。
「ひどことばかりする、嫌なやつ」
「それが僕に対する評価か」
 夏生が声を出して笑った。
「それでも、きみは僕を拒めない。それがわかっただけでもいい収穫だよ」
 唇を塞がれた。……確かに、抵抗できない。
 しないのではなく。
 オレは床に放られたパジャマと下着を拾った。それを身につける間、夏生はオレを観察していた。
「自分の行動眺めてて、何か楽しい?」
 オレが訊くと、
「僕の行動パターンとはまるで違うから、僕には見えないよ」
「……」
 ということは、校内でも行動パターンが夏生とは違うってことだ。
 どうして誰も不審感を持って接してこないんだろう。なんで夏生本人だと信じてしまうんだろう。
 中身が入れ替わるなんてありえないことだからか。
 誰も本当の夏生を理解してないからか。
 少しの違い、矛盾なんかに、気をとめたりしないってことか。
「……明日から、学校行くけど、もうあんなこと企むなよな。ああいう人のこと踏みにじるような真似は」
「努力してみせるよ」
 心にもない返事だった。結局夏生は、自分のやりたいように事を運んでいくのだ。
 相手に対する思いやりのひとつもなくて、好きなんてどうして言えるんだろう。
 夏生は自分勝手だ。

 突然、電話が鳴った。
 一瞬夏生の顔を見る。出ろ、とその表情が言っていた。
「……もしもし」
『夏生? 俺だ』
 秋人の声だった。
「……どしたの? 何か用?」
『具合が悪くて休んだって、おふくろから聞いてさ、気になってかけたんだ』
「心配してくれたんだ?」
『そりゃあ最愛の弟だからな』
「最愛?」
 オレが笑うと、受話器の向こうから不満そうな声が聞こえてきた。
『当然だろ。本気で愛してるんだから』
 ……近親相姦……って言うのかな、こういう場合。
「他にちゃんと好きな人、作った方がいいと思うよ。じゃあね」
『お、おいっ……』
 オレはあっさりと受話器を置いた。これ以上、兄貴のたわごとを聞きたくなかった。
 夏生はどこまで人を弄べば気が済むんだろう。どいつもこいつも、みんな本気で夏生に惚れている有様だ。
「だれ?」
 夏生に訊かれた。
「おまえの兄貴」
「……秋人か」
「愛してるって」
「兄弟だからね」
「……ちょっと違うんじゃない? 肉体関係ある場合」
「知ってたよ。秋人が本気だということは。でも僕が本気で好きになったのは、きみだから」
「だったら何で寝たりしたの」
「気持ちいいことが好きだからだよ」
 ……話にならない。
 夏生と会話してると、こっちまで汚染されそうだ。
「秋人とも、オレはやらないから」
「僕に断わらなくたっていいよ」
「……帰れよ、もう」
 オレが言うと、夏生は少し考えるような顔をした。
「……そうだね。そろそろ失礼するよ」
 夏生が部屋から出た。玄関から出て行くのを見届けようと思って、オレはついていった。
 玄関先で靴をはきながら、夏生が振り向いた。
「きみを長沢から取るよ」
「……え?」
「じゃあ、また明日」
 ドアが開き、滑るように夏生が出て行った。オレは意味深長な言葉に不安を覚えて、閉まりかかるドアを押した。
 夏生はまだドアの近くにいた。
「変なこと考えるのはもうやめてくれ。オレにだって選ぶ権利はあるだろ。オレからオレの幸せ取るのだけはやめろよっ。晴正のおかげでオレは壊れなくて済んでるんだから!」
 夏生がくすっと笑った。
「壊したいんだ、きみを。そして僕しか見えなくなる日が来る」
「夏生……」
 オレは茫然として立ちすくんだ。夏生は振り返ることなく去って行き、じきに見えなくなった。
 オレは自分の身体を抱きしめた。
「……頼むから、晴正の傍にはいさせてよ。そうじゃなきゃオレは……」
 壊れてしまう。
 晴正だけはどうかオレから離さないで。

 学校に復帰した。
 教室の中には、仁科も片野も坂西もいる。
 彼らは興味深げにオレをじろじろと見ていたが、特に声をかけてくることもなかった。
 一番気にしていたのは仁科だろうか。
 三人の中では一番重症だ。夏生に対する独占欲に溢れている。
 声をかけられないのは、晴正が傍にいるせいかもしれない。晴正は三人の動向を気にしつつ、オレにくっついている。そんな風に守られてることで、オレは気持ちが楽になっていた。
 夏生の姿になって、早いものでもう一月近く経つ。
 この姿にも名前にも馴染んできていた。
 ときどきオレは自分が本当は誰なのか、わからなくなる時がある。夏生とふたりきりの時はわかっているのに、大勢の中で夏生として暮らしていると、ずっと昔から夏生だったような錯覚が起きるのだ。
 人目を盗んで晴正とキスをする。幸せのひとときだ。晴正のオレを見る目は優しくて、安心してすべてを委ねてしまいたくなる。
 夏生は意外にも変なちょっかいは出して来なかった。やっぱり晴正が傍にいる効果だろうか。

つづく