天国の終末 10

 具合が悪いと親に言って、学校を休むことにした。

 夏生の姿になって以来、男に抱かれるなんて珍しいことじゃなくなっていた。
 最初に夏生、次に秋人、そして仁科、……次に晴正。そう、確かに慣れてはいる。
 けれど体育館の出来事は、尋常じゃなかった。三人の男におもちゃにされたのだ。彼らはオレを抱いたんじゃなくて、犯すことで楽しくなっていた。一種のゲームだ。嫌がらせも入っている。彼らをそそのかして実行させたのが……夏生だ。
 夏生の場合、恨みも込められていた。オレが夏生ではなく、晴正を選んで好きになったから。だから夏生はあんなことを思いついた。
 夏生はオレを傷つけたかったんだ。ぼろぼろに。
 でもなんで、夏生はオレに執着するんだろう。自分の姿をした人間を、どうして強姦させるんだろう。痛めつけて踏みにじろうとするんだろう。
 夏生の気持ちがわからない……。
 好きな人がいないと言っていた夏生……もしかしたら、本当にナルシストなのかもしれない。だからオレに執着してる……?
 その可能性はあった。でも、オレは姿は夏生でも、中身は違う。それなのに。
 オレは丸一日寝ていた。
 こんなことは珍しいのか、母親が心配してあれこれ世話をしようとしたけど、寝てれば大丈夫だと言って断わった。あんまり接触されて、本物の夏生でないことに気づかれても困るからだった。
 夕方になって晴正が来てくれた。
「……大丈夫か?」
「うん。ちょっと疲れただけなんだ。明日は行けると思う」
「あんまり無理しなくていいんだよ。……会いたくない人もいるだろう」
「一生会わないわけにはいかないだろ? 平気だよ」
 なかば自分に言い聞かせた。
 ただ怖いのは。
 夏生がまた何かを企むかもしれないことだけ。
 夏生はきっとオレを傷つけるのが楽しいんだ。嬉しくてたまらないんだ。そう、もしもオレの心が夏生にあれば、もう少し違っていたのかもしれない。けどオレが好きなのは晴正だから。
 夏生はオレが裏切ったと思っているのかもしれない。
「……晴正」
「ん?」
「キスがしたい」
 オレが言うと晴正は優しく微笑んでくれて、顔を近づけてきた。
 唇が重なり、オレは目を閉じた。
 長いキス。
 離れるのが惜しくて求め続けた。晴正もずっと応えてくれた。
 ……晴正は、オレが夏生の姿をしているから、こういうこともしてくれるんだろうか。元々、夏生のことが好きだった晴正。もしも、オレと夏生が元に戻ってしまった時、どうなってしまうんだろう。
 勝馬の姿では駄目かもしれない。夏生の姿でないと。
 そんな風に考えてしまう自分が、かなり弱気になっているんだと気づく。
 夏生の姿でなければ駄目なら、ずっと一生、夏生でいたい。
 夏生でいつづけたい。
 元に戻りたくない。
 電話がいきなり鳴った。夏生の部屋の専用電話が。
 オレは驚いてベッドから起き上がった。手を伸ばして受話器を取ろうとした時、晴正が先に取ってしまった。
「もしもし」
 晴正が眉をひそめた。
「そう、俺だよ。今、夏生の部屋にいる。悪いけど、彼を電話口に出すつもりはない。金輪際、彼とは関わらないでほしい。確かに彼の身体はもともとおまえのものだったかもしれない。だからって自由にしていいことにはならない。今度彼を傷つけたら、俺がただじゃおかない。絶対に許さない。それだけ理解していてくれ」
 受話器を置いた。有無を言わせない感じだった。
「……夏生だね?」
 オレが訊くと、晴正が頷いた。
「オレが……夏生を好きにならなかったから、怒ってるんだ」
「それで傷つけていいことにはならないよ。彼はおかしい。前からそうだった。おまえがもし彼のことを好きになったところで、同じように傷つけられる。たぶんね。そういう人なんだ、本当の高村夏生は」
「そう……だね。そうかもしれないね。そういうとこ、あるもんね」
 夏生と入れ替わったりさえしなければ、こんな風にターゲットにされることはきっとなかった。けれど、こうして晴正と仲良くなることもなかった。
 再び電話が鳴った。
 晴正がオレを制して受話器を取った。
「もしもし」
 うんざりしたような顔をする。
「またおまえか。いい加減にしてくれ。そうやっていつも、電話をかけてくるのか?」
 晴正がオレを見た。オレは左右に首を振った。
「嫌がらせのつもりか? 夏生と話がしたい? 断わる。今、彼が一番会いたくないのはおまえなんだ。だいたいどういうつもりなんだ。彼をあんな目に遭わせておいて、声が聞きたいなんて。どうかしてる。もう、かけてこないでくれ」
 晴正はやや苛立ちながら受話器を置いた。
 深く深く息を吐く。
「……わからないよ、彼が。いったい何のつもりなんだ。それとも俺を錯乱させる作戦なのかな。理解ができないよ」
「なんて言われたの?」
「気にしなくていいよ。たぶん、嫌がらせだ。俺がここにいるから、しつこくかけてくるんだ、きっと。またかけてくるかもしれないけど、出ない方がいい」
「……うん」
 晴正はしばらくいたけど、やがて帰って行った。オレはひとり部屋の中で、ぼんやりと過ごした。夜の八時頃に風呂に入り、遅めの食事をとり、またベッドの中に入った。
 電話が鳴り出したのは、夜の九時半ごろだった。
 出るなと言われたけど、ずっと鳴りっぱなしにも出来なくて、受話器を取った。
「もしもし」
『なつみ?』
 ぞくっとするほど優しい声が聞こえてきた。
 なんで彼は違和感なく、オレを夏生と呼べるのか、不思議でならなかった。
「……何の用?」
『冷たい声だね。そんなに僕のことが嫌い?』
 あんなことをしておいて、何を言ってるんだろう。
「嫌われたくないなら、なんであんなことしたんだ。嫌だって言ったんだ。助けてって言ったんだ。あのとき夏生、すごく冷たい目でオレのこと見てた。確かにオレは晴正のことが好きだよ。夏生よりずっと好きだよ。だからって、あんなことしていいはずない。オレは夏生を裏切った? そう思ってるのか? それは違う。間違ってる。裏切る以前にオレは、夏生に心は開いてなかったんだ」
『僕はきみのことが好きだ。どうしてだろうね。ぐしゃぐしゃにしてしまいたくなるんだ。本当はね、どこかに閉じ込めてしまいたい。そうして僕だけのものにして、きみを苦しめて痛めつけて、他のことを何も考えられないようにさせたくなるんだ。けれど現実問題としてそんな真似は出来ない。監禁は犯罪にもなりかねない。殺したいわけじゃないんだ。けれど腕の中で殺したくもなる。永久に僕に縛りつけたくなるんだ。おかしいね。こんな風に思ったのは初めてだ』
「それは錯覚だよ、夏生。おまえは自分に恋してるんだ。夏生の身体が他人になったことで、自分に対する愛情がおかしな形で表われたんだ。オレが夏生の姿じゃなかったら、こんな風に執着したりしなかった。夏生は夏生が好きなんだ。オレじゃないんだ」
 受話器の向こうで夏生が笑った。
『本当にそう思っているの。柚木勝馬くん。本当に僕がきみをターゲットにしなかったと、そう思ってるの。きみの存在を知らなかったとでも思っているの。それはすごい勘違いだ。なんで僕がバイクでわざわざ突っ込んだんだと思う? まさか入れ替わるとは思ってなかったよ。けれどね、道できみを見つけた時、僕はきっかけが欲しかった。きみと知り合うきっかけが欲しかった。死なせない自信はあったよ。だからホラ、軽傷で済んだだろう? きみとは同じクラスにもなったことはなかったし、きみが僕の存在に興味もないことも知っていた。普通に近づいたんじゃ駄目だ、そう思った。きみが誰かに抱かれることは別にいいんだ。けれど、心まで持っていかれるのは嫌だ。きみが他の誰かを好きになるのは許せない』
 オレは……動けなかった。喋ることもできなかった。完全に、固まってしまっていた。
 夏生は何を言ってるんだ?
 初めから……初めから、オレを知っていた? バイクでぶつかったのは、わざと?
「……なに、それ」
 声が、ふるえた。
 初めから、ターゲットだった?
「……いつから……」
『そうだね、きみを初めて見たのは高校入学した時だったかな。可愛い子がいるなって思ったんだ。普通ならモテるはずなのに、きみは不器用で女の子を苦手にしていたからそうならなかった。それでも密かに人気はあったんだ。ただ表面化しない上に、きみも鈍い面があった。それに、女の子が声をかけにくい雰囲気を持っていたんだ。きみは自分から誰かに告白するようなこともなく、誰かから告白されることもなく、三年生になってしまった。そしてきみはとうとう好きになった女の子に告白をした。けれどそれは断わられてしまったよね。僕はね、きみがそのころ誰を好きなのか知っていたんだ。きみが告白するより早く、根回しした。その子はすでに僕と何回か寝たことがあって、僕が、もしも告白された時には断わってくれと言うと、その通りにしてくれた。きみはすごく落胆してたよね。勇気をふりしぼって告白したのにふられたんだ。でもそれも僕の作戦』
「……なつみ、おまえ……」
『初めは気になっていただけで、好きなんだとは思わなかった。僕は誰も好きにならないとずっと思ってきたから、こんな風におかしくなるなんて不思議で仕方がないんだよ。それに<好き>というのは<守りたい>と同意義だと思っていたから、傷つけたりぐちゃぐちゃにしたくなるこの気持ちはなんだろうと思っているんだ。僕は自分のことはあまり好きじゃない。だからナルシストなんかじゃないんだ。わかったかい? 僕は本当にきみのことが好きなんだ。だから長沢に取られた時は悔しくて仕方がなかった。僕が先に好きになったのに、途中で長沢にかっさらわれたんだ。悔しくて当り前だろう?』
 オレは耳を疑いながら聞いていた。
 これは、本当の話なのか?
『なんで高校入学と同時にきみのこと気になっていたのに、三年生になってから近づいたんだと思う? ずっときっかけがあると思ったんだ。高校は三年間もある。もしかすればクラスが一緒になるかもしれない。他の何かで出会うかもしれない。そういう自然現象を待っていたら、三年生になってしまったんだ。僕は焦ったよ。三年もなかばが過ぎてしまえば、後は卒業を待つばかりだ。今さら自然な形で知り合うことは無理だ。だから偶然道で会えた時バイクで突っ込んだ。インパクトがある方がいいと思ったしね』
「……で、でも、悪いけどオレは……他に好きな人、いるから……ごめん」
 もう、何をどう言ったらいいのかわからない。
 頭がパニックしてた。
『自然な出会いを待っていた僕が馬鹿だった。なんで他の奴なら誘惑できるのに、きみには言い寄れなかったんだろうね。もっと早くきみを僕のものにしていればって思ったよ。でも、よく考えたら僕は長沢より早くきみとセックスしてたんだ。なのにどうして』
「……すればいいって問題じゃないだろ。だって夏生はひどかった。オレに対してひどかったじゃないか。夏生は本当はオレを好きなんじゃなくて、オレとやりたかっただけなんじゃないの」
『ひどいね。こんなに好きなのに』
 夏生の声は潮が引くように冷めていった。
 嫌な予感がした。
 急速に怖くなった。
「……夏生」
 オレは慌てて言葉を継いだ。そうしなきゃいけないような気がした。
「夏生、おまえいったいどこから電話かけてるんだ?」
 まさか家じゃないだろうな。こんな話、家族に聞かれてたら。
『部屋に、専用電話つけてもらったんだ。最近の勝馬は優秀になったから、喜んで設置してくれたよ。盗聴でもしない限り、誰にも聞かれやしない。……安心した?』
「夏生、おまえがオレのこと好きなのはわかってた。でもそれはオレが夏生の姿だからだと思ってた」
 受話器の向こうで夏生が笑った。
『へえ、そう』
「オレはおまえを好きになれない。他に、好きな人いるし。でも夏生、頼むから、怖いことは考えないで」
『怖いこと? なにそれ』
「ああいうひどい真似はもうしないでほしい。おまえがそういうこと考えるたびに、オレ、おまえのことどんどん嫌いになるから。嫌われたくなかったら……」
『なるほど、わかったよ。僕がどう足掻こうと、きみは僕を嫌いになるわけだ。そうだね、常識で考えると僕はきみに嫌われるような真似をしていたよ。けれど、どうしようもないんだ。そうしたいんだから。……じゃあ、僕もきみを嫌いになることにするよ』
「……え?」
 意味がわからなかった。
 そんな風に急な切り替えなんて、出来るのか?
『明日が、楽しみだ』
「……夏生? ちょっと、夏生!」
 電話が切れた。
 オレは火に油を注いでしまったんだろうか。
 怖くなった。
 ベッドの中でうずくまるように横になり、耳に残る夏生の声を反芻する。夏生がいったい何を考え、何をするつもりなのか、何度も何度も考えてみる。
 結局、何もわかりはしなかった。
 その夜は眠れなくて、結局翌日もオレは学校を休んでしまった。

つづく