天国の終末 1

 毎日が面白くない。
 学校もつまらないし、家もつまらない。
 好きだった女の子に告白したら玉砕するし。
 大学受験が迫ってるから勉強しなきゃ落ちるし。
 楽しいことなんか、何ひとつなかった。

 二学期が始まってまだ数日。
 学校帰りにコンビニに立ち寄った。
 家に帰ってもどうせひとりだ。うちは両親共働きで、残業あるから遅い。
 夕飯の仕度はオレがすることになっていて、仕方がないからやっている。
 だから本当なら値下げしないコンビニなんかより、夕方になると安くなるスーパーに行った方がいいんだけど、冷蔵庫にいろいろまだ残ってるから今日はやめた。
 家に帰るのが嫌で、コンビニに並んでる雑誌ながめて無駄を過ごす。
 男性向けファッション雑誌とか、髪型の雑誌なんかがある。オレのどこがイケてないんだろう。顔だってそんな悪くないと思うし、太ってもいないし。家事だって一応できる。身長は高くもないけど、低くもない。
 多少要領悪くて不器用ってのはあるけど。
「ふう」
 雑誌を元の場所に置いて、ため息をついた。
 こんなとこでウダウダしてても仕方ない。帰るか。
 コンビニから出た。夏は夕方五時を過ぎてもまだ明るい。これが冬だともう真っ暗だ。
 クーラーの効いてた場所から出ると暑かった。
 ……つまんねーなぁ。
 なにもかもが。
 何か変わったことでも起きないかな。

 キキキキ……ッ!

 変な音が聞こえる。まるで急ブレーキかけたみたいな。
 急ブレーキ?
 オレは振り返った。いきなり目に飛び込んだ光景。
 真っ黒なバイクが間近に迫ってくる。
 ぶつかる……っ!
 目の奥で火花が散った。
 全身を襲う激しい痛み。衝撃。
 頭の中が真っ白になった。

 気を、失っていたらしい。
 身体中が痛い。それでも動くことはできるらしく、オレはゆっくりと身体を起こした。
 革の手袋が視界に入った。……? こんなものはめた覚えはない。
 頭が重いと思ったら、ヘルメットだった。かぶった記憶はない。それを外しながらオレは、すぐ傍で横たわっているバイクを見つけた。
 このバイクにぶつかったのか。どういう運転してんだよ。
 持ち主を探した。バイクがここにあるってことは、轢き逃げはされてない。
 倒れてる奴を見つけた。制服姿だ。見覚えが……ある?
 オレは全身を何かにつかまれたような電撃的なショックに襲われた。
 なんだこれは……?
 鏡や写真でさんざん見たことのある顔。
 オレだ。
 こめかみから一筋の血を流して、気を失っている。ぴくりとも動かない。オレは怖くなった。
 もしかしてオレは死んだのか?
 だからこんな風に倒れてる自分を見つめることができるんじゃ。
 手がガタガタと震えた。倒れてるオレの肩をつかんで、揺すった。
「おい……起きろよ」
 口から出た声の質がオレじゃなかった。知らない声。誰だこれは?
 そうだ。今オレは制服姿じゃない。見知らぬ私服だ。おかしい。変だ。
 目の前で倒れてるオレ。オレじゃないオレ。
 考えられることはひとつしかなかった。

 通りがかりの誰かが通報したらしい。
 パニックしている間に事態は急転して、オレは親元にいた。
 見ず知らずの親の元に。
 さんざん叱られた。だからバイクを与えるなと言ったんだ、と知らない父親が知らない母親に怒鳴っていた。だいたいオレはバイクどころか免許すら持ってない。
 一応検査をして、家に帰っていいことになった。相手は入院することになったけど、意識も回復したらしい。会わせてはもらえず、強制帰宅。他のことはすべて親がなんとかしたらしい。何がどうなったのか、オレにはさっぱりわからなかった。
 本当はオレが入院するはずだったのに。
 っていうか、確かに入院してるのはオレなんだ。
 ここにいるオレは高村夏生(たかむらなつみ)という名前だった。
 入院してるオレが柚木勝馬(ゆずきかつま)。正真正銘のオレだ。

 オレは夏生の部屋を眺めてた。
 優等生の部屋だ。
 あるのは参考書とか問題集ばっかり。小説も海外文学ばっかり。シェークスピアだとか「赤と黒」だとか。音楽はクラシックしかない。
 娯楽関係のものがひとつもなくて、堅苦しい部屋だった。
 男なんだから当然あると思ってたエッチな雑誌やビデオもない。
 オレには夏生の感覚が理解できなかった。全然面白くない部屋だ。
 一週間の自宅安静となったオレは、夏生の家や家族、夏生がどういう奴なのかを懸命に調べた。
 家族構成は、両親と兄ひとり。その兄は現役大学生で、現在家を出て独り暮らしをしている。
 夏生は正真正銘の優等生で、成績はトップクラス、運動神経抜群、ついこないだまで生徒副会長、志望大学のレベルも並じゃない。
 オレと同じ高校で、同じ三年生だった。クラスは違う。
 夏生のことを知れば知るほど、オレは動揺した。こんな奴の代わりなんか務められない。だからって本当のこと話したって、どうせ誰も信じやしない。
 だいたいオレは成績のいい奴らには無関心で、誰が生徒会長だとか副会長なのかすら知らなかったくらいだ。そんな奴の身体に入っちまったオレの方が完全に被害者だった。
 とにかくオレの身体の中にいるはずの夏生と、絶対に会わなきゃ。
 会って話つけるんだ。
 元に戻る方法を探すために。

 父親が会社に行き、母親が買い物に行った隙に、オレは外に出た。
 夏生の入院先はわかってる。事故ってから四日目の今日、ようやくオレは夏生に会える。
 病室の前で「柚木勝馬」と書いてあるプレートを眺め、オレはしばらくためらった。けど意を決してドアを叩いた。
「はい、どうぞ」
 違う人間の中から聞くオレの声は、なんだか妙に新鮮だった。オレってこんな声だったっけ?
 ドアを開け、中に入ったオレは驚いた。
「……個室?」
「そうだよ。聞かれたら困るような会話をすると思ってね。部屋を変えてもらったんだ」
 当り前のように答えるオレの姿した夏生がいた。
 そういや、外にあったプレートにも、オレの名前しかなかった。
 オレ……いや夏生は、真っ白なベッドの中で上半身を起こしてくつろいでいた。
「やっと来てくれたね。ずっと待っていたんだ」
「……ま……ってた?」
 意外な気がしてオレが戸惑うと、夏生はオレの顔のまま微笑した。
 ……。
 なんか、ものすごく、変。
 気持ち悪い。
 でもよく考えたら、双子なんていつもこんな感じなんだよな、きっと。
 目の前に自分と同じ顔がある現実。
「とにかく、座って」
 夏生に勧められて、オレは近くにあった椅子をベッドの隣まで運んで腰掛けた。
「……なんでそんな落ち着いてんの?」
 夏生の余裕ある態度が不思議で、つい訊いてみた。
 夏生はかすかに笑みを浮かべて、そういうわけじゃないんだよ、とでもいう風に、ゆるやかに左右に首を振った。
「そりゃ最初は混乱したよ。何が起こったのかわからなかった。けれど時間が経てば嫌でも冷静になってくるだろう? とりあえず僕は今、記憶喪失になったことにしているから、きみのご両親から色々ときみについての情報を探り出しているところだ」
 なるほど。そういう手があったか。
 なんて、感心してる場合じゃない。
「どう責任取ってくれるんだ? もとはと言えば、あんたが走らせてたバイクが突っ込んできたのが原因だろ」
 オレが恨みがましく責めると、夏生は困ったように吐息した。
「そうだね、元々は僕のせいだ。まさかあんな不手際起こすとは自分でも信じられないくらいだ。けれど起こってしまったものは仕方がない。ただ足掻いていたって意味がないし無駄だ。だから僕はとりあえず、きみになろうと思って色々情報集めてるんだけど」
「オレは元に戻りたい」
「それは無理だよ。僕に言われてもどうしようもない。だいたい何でこんなことになっているのか、僕にもわからないんだ。そうだろう?」
 ……確かに。
 だいたい物凄く非現実的すぎる。こんなこと実際ににあっていいことじゃない。
 オレと夏生の中身が入れ替わるなんて。
「だが問題がないわけじゃない」
 夏生の言葉につられてオレは顔をあげた。
「聞くところによると、きみの性質はあまり褒められたものではないようだね。成績もだ。家事はそこそこ出来るらしいけど、テストの結果はあまりよくない。何をするにもあまり意欲がなく、中途半端に生きている。だから女性にもふられるんだ」
 ちょっと待てっ。
 なんでそんなこと知ってんだ!
「あ……あのなぁっ」
 怒りと羞恥のあまりに声にならない。
 夏生は澄ました顔でさらに続けた。
「何故そんなこと知っているのか気になるんだろう? 僕はこれまで何度もきみのご両親に会った。そして当然ながら、きみの友人にも会っている。律儀に見舞に来てくれる友人がいてよかったね。僕が記憶喪失だと知ると、いろんなことを教えてくれたよ。好きな女の子に告白したけれど駄目だった話もね」
 末田ぁ……覚えてろよ。
 今度会ったらただじゃおかないぞ。
「なに聞いたか知らないけど、オレもあんたのこと全然理解できない。部屋のなか調べさせてもらったけど、まるで優等生ロボットみたいな部屋だな。健全な男子高生なら当然見るはずの雑誌もビデオもない」
「当然だ。そんなものを母親に見つけられでもしたら、卒倒されるからね。部屋に置くような間抜けな真似はしないよ。それに、自腹切って買ったりレンタルしたりするほど飢えてもいないしね。なるほど、きみはそういう物を見ることでしか解消できないわけだ」
 鼻で笑われた。
 ……なんだこいつは?
 思ってたのと全然イメージ違うぞ。
 もっと優等生で堅苦しいガリ勉かと思ってたのに。
 なんなんだ、こいつは。
 だいたいオレの顔と声なのに、オレじゃない喋り方。
 ただでさえ、気持ち悪いってのに。
「ところできみは童貞かな?」
「は?」
 いきなり何を訊くんだよ、こいつは。
「うるさいな。どうでもいいだろ」
「なるほど、未経験か」
「違うよっ。うるさいなっ」
 図星だった。
 だからって正直に言ってやる義理はない。
「顔を真っ赤にして逆ギレする。正直な子だね、きみは。僕の顔でそんな反応見られるなんて新鮮で笑ってしまうよ。僕じゃないみたいだ」
「怪我、どうなんだよ。オレの身体なんだからな」
 ムリヤリ話を変えた。どうも、こいつと話してるとペースが狂うような気がする。
「失礼したね。今思えば、ブレーキの様子が少しおかしかったな。気のせいでは片付けられない程度の。故障だったのかな。それにしては赤信号では止まったし」
 悪びれてない態度だった。
「あんたの運転ミスをブレーキ故障にすり替えるなよな。ところで怪我の様子は。ちゃんと痕は消えるんだろうな。変なキズ残ったら承知しないからな。後遺症とか。あったら死ぬまで恨むからな」
「検査の結果は異常なし。まだ終わったわけじゃないけど、じきに退院できるだろうね。僕としてはもう平気だと思っているんだけど。打撲は多少あったし、切れている部分もあったけど、骨も折れていないし内臓にも異常はない。もちろん脳にもだ。不幸中の幸いって言うのかな。僕の運転技術が高かったおかげだね」
 話聞いてるうちに腹立ってきた。
「事故起こしといて、運転技術が高いって? ふざけんな。おまえのせいで、オレは今こんな窮屈な思いしてんのに。だいたい成績優秀って、学年トップって、どうしろって言うんだ、おい」
「プレッシャーか」
 納得した風に夏生が頷いた。
「困ったね。きみが僕の身体にいるってことは、きみが僕として試験を受けるっていうことだ。急激に成績がさがってしまうな。両親に合わせる顔がないよ」
 いちいちムカつく。
 だんだん話してるのが嫌になってきた。
 オレは椅子から立ちあがった。
「どうしたの?」
 澄ました顔で夏生が訊く。
「帰るんだ」
「これからのこと、相談しに来たんじゃなかったの?」
 そうだけど。
 話にならないじゃんか。
「まあいいから座りなよ。きみのこと茶化したことは謝ろう。けど深刻になってみたところで解決する問題でもない。元に戻る方法なんてわからないからね。そもそも、何で僕たちが入れ替わるようなことになったのかすら見当もつかない状態だ。本当なら科学的にありえない出来事なんだ。しかし現実に起こってしまった。起こってしまったことは仕方がない。この現実を受け止めなくちゃ何も始まらないんだ。否定することも現実逃避することも許されない。何も進歩しないからね」
「否定も現実逃避もしてないぞ」
「例え話だよ。けれど、このまま永久に戻れなくても僕としては非常に困る。有望なはずの人生がこんなことで駄目になるなんて許されない。これまで築き上げてきたものは、いったい何だったのかとね」
「いちいち失礼だな」
「それにきみだって困るだろう。僕ははっきり言って優等生だ。親にも教師にも一目置かれている。ただ今回ばかりは両親の不評を買ってしまったけれどね。そんな優等生な僕として明日から生きていきなさいと言われても、きみには無理だろう」
「悪かったな。優等生じゃなくて」
「そんなに、ふてくされることはないよ。とりあえず僕は成績については諦めることにする。だからきみは、僕として生活してくれなくてもいいんだ。僕は僕として新しい柚木勝馬として生きるから、きみはきみで新しい高村夏生として生きてくれればいい。いきなり別人になるわけだから、周囲はきっと混乱するだろうけどね。いつか戻れるかもしれないから、その時はそのまま元々の自分として生きればいい。この際、周囲に構っている場合ではないと思うよ。どうせ僕はきみになれないし、きみは僕になれないんだから」
 確かにそうだ。どんなに必死になってみても、オレは夏生にはなれないだろう。
 ……夏生は、この状況を初めて知ったとき、動揺とかしなかったんだろうか。
「でもまあ、心細い時には僕を頼ってくれて構わない。僕の情報がないと都合が悪い時にはいくらでも教えてあげるよ。きみは記憶喪失にしなかったんだろう? だとすれば、周囲も元の高村夏生だと思って接してくる。合わせるのは非常に難しいし苦痛を伴うと思うけど、僕について知りたいことがあれば何だって教えてやれるから」
 ……そんなに悪い奴じゃないのかもしれないな。
 オレは椅子から立ち上がった。
「まだ学校に復帰してないんだ。自宅療養だとかで。この身体も打撲してるから、一応様子を見ることになってる。本当は平気なんだけどさ、医者が家に来るんだ。ヘルメットかぶってたのが幸いだったって言われた。よかったな、生きてて。もしこの身体が死んでたら、一生おまえオレの中だったわけだし」
 夏生がオレを見上げた。
「生きててよかった?」
 かすかに夏生が笑った。
「きみは無事生きててよかった? 他人の身体の中でも」
 夏生に問いかけられた。オレは……しばらく考えてみて、結局よくわからなかった。
「さあな。ずっと毎日がつまんなくてしょーがなかったから、別にどっちでもよかったんだ、本当は。でもなんか、人間の本能なのかな。生きてたってわかった瞬間ってホッとしちゃうんだ。志望大学のレベルも低いし、どうせたいした人生じゃないし、好きな子にもふられるし、面白いことなんか何ひとつないし。それでもやっぱり、生きてたことがわかった瞬間ってのはホッとしちゃうんだよな。変だよな」
 夏生がオレのことジーッと見てた。顔がオレだから、自分に見られるのってすごく変な感じがした。
「帰るよ」
「今度会えるのは、学校でかな?」
「たぶん」
「うちの両親、深く詮索しないで無条件に高村夏生のこと信じてる人たちだから、ちょっといい子ぶってれば何も追及してこないよ」
「う、うん」
 干渉しないってことかな。
 そうでもないと思うけど。
 夏生の起こした事故にまつわるトラブルを、アッという間に解決した後、夏生の父親は入院してる被害者に会うなとキツク言ってきた。何もなかったことにしたいらしい。夏生の将来に傷がつくからだろうか。いったいどんな仕事してるのか、まだよくわかんないけど、力があるのは確かだと思った。
 夏生の将来を大事にしてるのだとしたら、当然、成績の落下は許されないだろう。それを思うとかなり怖かった。だからって今さら猛勉強なんかしたくない。
 夏生と別れて病室から出たオレは、これからのことを考えて憂鬱になった。
 何か変わったこと起きないかな、って思ったけど、それはこんなことじゃなかった。起こってほしかった変わったことは、もっと楽しい種類のものだ。こんな頭の痛くなる問題じゃない。
 これがまだ、優等生な高村夏生じゃなくて他の奴なら、まだ救いがあったよな。
 けど、今のオレは高村夏生の身体の中で生きていた。変えられない現実だった。

つづく