勇者になんてなりたくないのに 6

(初掲載日:2014年4月27日)

 後始末も済ませ、まったりしている時、ふいにラムダが口を開いた。
「あの、それなんですけど……」
「それ?」
 シグマが首をかしげる。
「その小瓶です」
「これ?」
 シグマの手の中には使用済みの小瓶がある。彼は空になった容器に、フタを閉めているところだった。
「これがどうかしましたか?」
「いつも持ち歩いてるんですか」
 ラムダに問いかけられて、シグマはこくりと頷いた。そしてリュックの中から、違う小瓶も取り出した。べっこう色の半透明な液体が入っている。
「他にもありますよ? 先ほどのは潤滑油、こちらは媚薬。実は使いたくて使いたくてうずうずしてるんです。使いますか?」
「……遠慮します」
「いつか使いたいですね」
 にっこりとシグマが微笑む。ラムダは笑えなかった。
「できることなら、ずっと使わないでもらえると助かります……」
「それは残念」
 シグマがあからさまに落胆する。そんなことよりラムダは、シグマのリュックの中身のほうが気になった。
「まさか、荷物の中、全部それじゃないですよね……?」
 一抹の不安を感じ、ラムダは確かめたい衝動にかられた。だが、シグマは左右に首を振る。
「足りなくなったら送ってもらってるんです。先ほど話した、仲間になる予定の魔法使いですよ。彼がこれらを作っていて、私に送ってくれるんです」
「……そうなんですか……」
 その魔法使いが仲間になると、さらに危険な旅になりそうで、ラムダはたちまち不安になった。
「彼はまだ発展途上の魔法使いなんですよ。さすがに見習いではないんですけど。だから使える魔法も限られていて、瞬間移動のようなことはできないんです。なので、手紙でやりとりをして」
「なるほど」
「他にも錬金術を学んでいるので、こうして媚薬の試作品を作ると、私に送ってくれまして」
「えっ、ちょっと待って。それ、試作品なんですか?」
「ええ、そうですよ」
 ラムダはゾッとして、思わず自分の腕を抱きしめた。そんなものをこの身体で試されては困る。
「じゃあ、どんな副作用があるか、わからないんですよね……?」
「そうですね。使ってみないとわからないですね」
 シグマは澄ました顔で、なんでもないことのように言い放った。
「でも私は彼の腕を信じてますので」
「俺は信じられないです。面識のない人の試作品なんて」
「でも、彼の作る薬草は治りが早いんですよ」
 きっと、ラムダの知らない二人だけの歴史というものがあるのだろう。彼らの信頼関係は信じられそうだが、それでも試作品は試したくない。
「とにかく、俺はその媚薬、絶対使わないですから!」
「……わかりましたよ」
 シグマはため息をついて、媚薬をリュックにしまった。
 その日の夜は何事もなかった。さすがに旅ができなくなるのは困る、とシグマも思ったのだろう。明日こそ旅立とう、と相談したわけでもなく、暗黙の了解のように二人とも考えていた。

 身体のだるさや重さや痛さが完全に消えたわけではなかったが、歩けないほどではなかった。荷物を持ち、支度を整えたラムダは、シグマと共に宿屋を後にした。
 街門には相変わらず衛兵たちがいる。街を入るのも出るのも、それなりの許可が必要で、気軽にはできないらしい。
 シグマは国王から受け取ったという通行証を、ラムダに渡した。二枚あるようだ。これがあれば、さまざまな国や街に入っていけるらしい。彼らの名も記されており、身分証としての役割も兼ねていた。
「絶対になくさないでくださいね」
 シグマが念を押してきた。
 通行証を提示すると、あっさりと街の外に出られた。すると途端に視界が開け、広大な土地と道らしき筋が目の前に広がった。
 辺りは手入れすらされていないが、中央に伸びる道だけは、石畳か何かでできているようだった。草むらの存在が案外軽い恐怖をあおる。いつ何が出てくるかわからない道を歩くのは、思っていた以上に勇気が必要だった。
「そうだ、忘れてました。ラムダ殿、これを」
 シグマが手渡してきたのは、鞘に入った一本の剣だった。
「幸い、この辺りに棲む魔物はたいして強くありません。いずれ魔王を倒さなければならないんですから、地道に腕をあげていきましょう」
「魔物と……戦わなきゃいけないんですか……」
「村や街を出るというのは、そういうことです。それぞれの村も街も、そして城も、結界に守られていて魔物が入ってこられないようになってます。ですが、外の世界は違います。国で働く魔術師たちの力にも限度があり、外の世界まで結界を張り巡らせることはできないんです」
 シグマの話を聞きながら、ラムダはきょろきょろと辺りを見回した。単なる風の音でも、ついビクリとしてしまう。シグマは構わず話し続けた。
「旅をする者の身を守る術はたったひとつです。臆することなく魔物と戦えるか。そして倒せるか。できなければ待つのは死のみです。生き延びたかったら戦うしかないんです」
「……俺、ただの農家の跡取りなんですけど……」
「勇者として選ばれてしまった以上、これは避けられない運命です。嫌でも戦ってください。死にたくなければ」
 シグマからシビアな言葉を聞かされて、ラムダはそっとため息をついた。平和で平穏な人生を歩みたかったのに、なぜこんなことになってしまったのだろう。嘆いても嘆いても、嘆き足りなかった。
 ふっと茂みから、何かが現れた。
 狼のような形をしているが、明らかに違う。牙をむき、よだれを垂らしている顔はどう見ても尋常ではなく、ラムダの足はすくみ、全身が凍りついたように動かなかった。頭の中には恐怖しかなく、このまま喰われて死んでしまうのかと覚悟まで決めそうになった。
 光がきらめいた。光と思ったものは、シグマの剣だった。魔物とラムダの間に立ちはだかると、ためらうことなく剣をひらめかせる。あっという間の出来事だった。数回まばたきをしている間におわった。
 魔物の悲鳴と共に、すべてが終了した。後に残るのは、魔物だったものの残骸と、一筋の青い液体をしたたらせているシグマの剣だった。
「……青い」
 思わずラムダはつぶやいた。冷静に振り返ったシグマが深く頷く。
「魔物の血は青いんです。我々とは完全に別の生き物です」
「……じゃあ、魔王も?」
 ラムダの問いかけに、シグマは答えなかった。会ったこともない魔王がどういう存在なのか、まだ誰も知らないのだ。
「行きましょうか。この辺りは比較的弱い魔物ばかりですが、警戒を怠らないでくださいね」
 ラムダは青ざめた顔で、ふらふらとシグマの後を追った。彼とはぐれたら死んでしまう。そんな思いで、頭の中はいっぱいだった。

つづく