勇者になんてなりたくないのに 1

(初出:ゆいかromance 初掲載日:2014年04月20日)

 遠い遠い昔の夢を見た。
 懐かしい香り。懐かしい気配。まだ幼いあの頃の。
 遠くで手を振っている少年がいる。笑顔だけれど、顔がよく見えない。
 まるでモヤがかかったように、霞がかったように、よく見えない。
 彼のことはよく知っているはずだった。
 なのに顔がわからない……。

 ラムダはハッと目を覚ました。
 しばらくぼんやりとした表情で天井を眺めていたが、やがて、ゆっくりと起き上がった。
「……夢」
 最近よく見る夢だった。
 幼い頃に仲よくしていた少年が登場する。しかし、ラムダは彼のことをほとんど覚えていなかった。顔もよく思い出せない。
 なのにどうして夢に出てくるのだろう。何度も思い悩んだが、答えはわからぬままだった。
(今日は俺の誕生日)
 ふいに思い出し、のそのそと寝床から出て立ち上がる。大きく伸びをした。
 小さな村の農家の息子として生まれたラムダは、毎日代わりばえのしない地味な生活を送っている。この村で学校に通っている子どもはいない。将来の道はすでに決まったようなものだった。
 親の手伝いで毎日のように畑に出ているラムダは、このままこの村で年を取り、やがて骨をうずめていくのだろう。漠然とそんな風に思っていた。
 それを憂いるわけでもなく、楽しむわけでもなく、ただ淡々と日々を過ごす、ただそれだけだった。欲もなければ夢もない。希望もなければ不満もない。天より与えられた存在として、細々と生きるだけだ。
 それでいいと思っていた。
 十八歳ともなれば、そろそろ嫁を、と周囲がうるさくなるのだろう。まだ恋らしい恋すらしたことがなかったラムダには、結婚なんてまだ早い。そうは思っても、周囲は放っておいてくれはしないのだろう。

「ラムダ! ラムダ!」
 いきなり部屋に母親が駆け込んできた。ぽかんとするラムダを、血相を変えた顔で見つめてくる。ガシッと腕を掴まれ、反射的にのけぞった。
「大変だよ、ラムダ!」
「どうしたの、母さん。落ち着いて」
「落ち着いてなんかいられないよ。早く正装するんだ、今すぐに!」
「正装?」
 のんびりしているラムダに焦れたのか、彼の母はタンスの引き出しを開けて、奥のほうから一式の服を引っ張りだした。
「うちは貧乏だから、この程度のものしかないけど、とにかく着替えるんだよ!」
「だから、どうして?」
「城の使いがやってきてるんだよ。おまえは今から城に向かうんだ」
「ええっ?」
 なにがなにやらさっぱりわからなかった。母に聞いても要領を得ない。あまり状況をわかっていないのだろう。
「俺、城に呼ばれたの?」
「今すぐ連れて行きたいって言われたんだ。王様に会えるんだよ。粗相のないようにしないと」
「だから、どうして?」
「行けばわかるんだろうよ。さっさと支度しな!」
 有無を言わせぬ勢いに押され、しぶしぶラムダは支度をした。
 腕を引っ張られ連れて行かれた先には、一台の馬車と共に騎士のような若い男が待っていた。
 彼はラムダを一目見ると、軽く目を見張った。
「あなたがラムダ殿ですね? 私は城からの使者、シグマと申します。王がお呼びです。今すぐに私と共に城に向かっていただけますか?」
 問いかけのようだが、断定だった。選択の余地はない。ラムダは嫌でも行かねばならないのだ。シグマの発する語尾の強さから、そう感じ取れた。
「えっと……俺にいったい何の用が」
「それは行けばわかります」
 質問すら許されないのか。ラムダは内心でため息をついて、すぐに諦めた。素直に城に行けばわかるのだろう。相手は国王だ。あがいても仕方のないことだった。
 シグマと共に馬車に乗ったラムダを、母親が心配そうに見つめていた。彼女だけではない。いつの間にか村中の人間が集まっていた。
 この時点ではまだ、すぐに帰って来れるだろうと信じていた。まさか二度と帰れなくなるなんて、微塵も考えてはいなかった。
 シグマと向かい合わせに座り、走りだす馬車から村人たちを眺めた。ラムダの新たな旅が始まった瞬間でもあった。
 視線を感じ、ふと向かい側に目を向けると、シグマがハッとして慌てて目をそらした。こころなしか頬がうっすらと赤く染まっている。どうしたのかと問いたかったが、会話をするような空気ではなかったのでやめておいた。
 長い時間、馬車に揺られた。城に行くなど生まれて初めてのことだ。遠く離れた村に住んでいると、城なんて無縁のものでしかなかった。
 あまり現実味を感じないまま外の景色を眺め、ラムダはしばしぼんやりとしていた。村に住む地味な青年に、国王がいったいなんの用なのだろう。そんなことを考えている間に、だんだん眠くなってきた。
 肩を揺すられ、目が覚めた。知らぬ間に眠っていたらしい。
「到着しましたよ」
 シグマに腕を引かれ、馬車から降りた。
 視線をあげたラムダは驚きに目を見張った。目の前にそびえ立つ巨大な城。城下の賑やかな街並み。ラムダの知らない、見たことのない世界が広がっていた。
 急に国王に会うということが現実味を帯びてきて、全身に緊張が走る。
「さあ、行きますよ、ラムダ殿」
 シグマに促され、巨大な城の扉をくぐった。城内はとても豪華で、眩しくてたまらない。
 完全な場違いに足がすくむ思いだったが、今さら帰りたいとも言えなかった。
「あの、俺、帰りたいです」
 それでも意を決して言ってみた。しかしシグマは有無を言わせぬ厳しい顔で、左右に首を振った。
「あなたは選ばれた人なんです。さあ、国王がお待ちかねです」
 さらに開かれた扉の先には、国王の間があった。高い階段の頂上には、豪華な椅子に座る王の姿があった。息を呑んだラムダは、言葉を忘れたようにその場に立ちつくす。
「そなたがラムダか」
 揚々とした国王の声が、広い室内に響き渡った。
「早速だが、そなたに頼みたいことがある。勇者となって魔王を討伐してきてはもらえぬか」
「……は?」
 まぬけな声が出てしまった。
「そなたは勇者として選ばれた。妖魔の森に棲む悪しき魔王を討伐してきてもらいたい」
「……えっ、それはどういう……」
 相手が国王だということも忘れ、つい言い返してしまった。

つづく