ニセモノのコイビト 8

(初掲載日:2002年06月21日)

 頭がぼうっとする。
 幸彦と一緒に校舎から出て、門を出た。
 俺たちを見張ってる人はべつにいなかった。校内にいる間は大騒ぎするけど、帰宅時間が来るとみんな自分のことしか考えないらしい。
 熱くなったものを無理矢理静めたせいなのか、頭の中がすっきりとしない。そのせいか、足元が時々おぼつかなくなって、いつの間にやら幸彦に手をつながれていた。
 ……変だよな?
 この状況って変なんだよな?
 いちいち自分に問いかけてみないとわかんなくなるほど、俺は混乱してた。
 幸彦に引っ張られるようにして歩いてるうちに、家に着いた。幸彦の家はうちから約十分ぐらい歩いたところにある。
 高校一年の頃、それを知った俺は幸彦に問いただしてみたことがある。あまりにも近すぎたから。小学校とか中学校はどこだったんだ? ええっ、一緒なのかっ? 俺、おまえがいたこと覚えてないんだけど? クラス一緒になったことなかったよな?
 そんな失礼な俺に、幸彦は卒業アルバムで確かめてみろよと言った。
 家に帰ってから、物置にしまい込んだまま放置してあった卒業アルバムを引っ張り出した。森宮幸彦は確かにいた。間違いなくいた。面影はちょっとあった。やけに可愛い小学生で、なんで俺は知らなかったんだろうって不思議に思った。中学の卒業アルバムにも幸彦はいた。クラスが一緒になった記憶がなくて、それで覚えてねぇのかなって首を捻った。
「やや、この調子で行けよ?」
「……この、調子?」
 玄関先で、幸彦に言われた俺はなんのことかわかんなくて、しばらく考えた。そんな俺に焦れたのか、幸彦は苦笑する。
「上原遼太朗に、全然恋人っぽく見えないって言われたんだろ? 甘い空気がないって。でもさっきのややを見たら、絶対そんなこと言わねぇよ」
「さっきの……」
 急にキスの感触を思い出して、かあっと全身に熱が発生した。
 そ、そのためにキスしたのかっ?
 恋人らしい空気つくるために?
 なんだそういう理由がちゃんとあったのかと思って、俺はちょっとがっかりした。
 ……って、ちょっと待て。
 なんでがっかりすんだよ?
 間違ってんの俺の方なんじゃねぇの?
「じゃあな、やや。また明日な」
 幸彦が笑顔で手を振って、歩き出す。
「う、うん……」
 自分がぎこちない顔してるんじゃないかって気が気じゃなかった。変に全身が強張っててぎくしゃくしてる。変だ俺。絶対に変だ。
 意識してる。
 ずっとそういう対象じゃなかったのに。
 意識しすぎてる。
 キスされたからか? たったそれだけのことで、こんな風になるのか俺は?
 キスの最中、急にバカになったみたいになにも考えられなくなってた。ただぼうっとして気持ちよくなってた。たかがキスなんて言えない。全身にまで響いてきた。
 ……ヤバ。
 思い出したら下半身の疼きまで蘇った。キスされただけでこんなところまで反応するなんてびっくりだ。俺は慌てて家の中に入り、シャワーを浴びに浴室に入った。

 シャワーの湯を浴びながら、俺は右手を動かしていた。
 キスの感触を思い返す。あれだけ強烈だったものを、そう簡単には忘れられない。
 俺って変なのかな。
 変になっちまったのかな。
 キスの延長線上で幸彦に触られてることを想像していた。
 耳元で囁かれることを想像していた。
 俺はまるでAVに出てる女優にでもなった気分で喉をそらした。
「……うっ……」
 手のひらの中に白濁の体液が迸る。
 なにしてんだろう……俺。
 変だよ。
 幸彦オカズにしてイクなんて。
 それもやるんじゃなくて、やられてるとこ考えるなんて。
 どうしよう。
 変だよ俺。
 変になっちゃったよ。
 どうしよう。
 幸彦が悪いんだ。あんなキスするから。
 あんな気持ちのいいキスなんかするから。
 だって俺、初めてなんだよキスしたの。
 初めてなのにあんなことされたら……変になるに決まってんだろ。
 俺は責任をすべて幸彦に押しつけた。元はと言えば、俺が嘘の恋人宣言をしたのが原因なのに、幸彦にせいにした。
 そうしないと耐えられなかったんだ。
 このままじゃ俺がどうなっちゃうのかが怖くて。
 こんな風になってる俺に、幸彦がどれだけついてきてくれるかわかんないし。
 マジになったら駄目だと自分を戒めた。
 幸彦とは疑似恋人なんだよ。
 嘘なんだよ。
 高校卒業するまでは続くかもしれなくても、卒業したらもう終わるんだよ。
 偽物だから。
 偽物の恋人だから。
 なんで俺、こんなに切ないんだろう。
 こんなの初めてだ。
 誰かに対してこんな気持ちになったの、初めてだ。
 あんまり切なかったから、シャワーの音にかき消されるように、なるべく声を出さないようにしばらく泣いた。どうしてそうなっちゃったのか俺自身わかんなかったけど、ただもうなにかのネジが緩んで飛んで壊れてしまったみたいに、自分の膝を抱え込んで泣いた。
 家の中に誰もいなかったら、もっと思いっ切り泣いたのに。
 キッチンで今日は仕事が休みの母さんが夕飯の仕度をしてる音が聞こえてきたから、さらに声を殺して泣いていた。
 たぶん俺は抱きしめられたかったのかもしれない。
 確かな力強い腕で奪うようにされたかったのかもしれない。
 自分の中にこんな要素があったなんて初めて知った。
 こんなに女々しかったなんて初めて知った。
 幸彦。
 どうしてくれんだよ。おまえのせいだよ。キスなんかしたから。
 たったそれだけのことで、こんなにも駄目になりそうになってんだよ。
 俺、この先どうしたらいいんだろう?

つづく