満開の桜の木で埋め尽くされた広場を見渡すと、風に舞った桜の花びらがたくさん降り注いできた。
幻想的な光景にしばらく目を奪われていると、一本だけ輝いて見える桜の木があった。
近づいてみると、やはりこれだけ他と違う。
木の幹に触れてみた。手触りは他の木とさほど変わらない。
衝動的に木の根の近くの土を素手で掘ってみた。土は柔らかく、さらさらとしていて掘りやすかった。
そこから出てきたのは、見覚えのある日記帳。
あれはまだ幼い、小学二年生だか三年生だかの頃。
走馬灯のように急激に蘇ってきた記憶。ずっと忘れていたのに。
忘れていたはずなのに。
日記帳の表紙には、彼の名前が書いてあった。子ども特有の頼りない字で。
戦慄しながらも、開いて見ずにはいられなかった。
「四月三日。ぼくは今日、△△くんに、ころされました」
その内容には驚かなかった。予想していた通りのことが書かれていたからだ。
この桜の木の下での出来事だった。今なら鮮明に思い出せる。
小学四年生の頃に引っ越して、大人になるまでこの街には戻らなかった。
でもこの出来事のことは綺麗に記憶から消えていたので、どうして戻らなかったのか自分でもわかっていなかった。
ふいに、木の根が動いた。
驚き、目を見張っていると、木の根はみるみる空中に持ち上がり、身体に巻きついてきた。
そして抱き寄せられるように、全身が木の幹に押しつけられた。
「ようやく会えたね」
声が聞こえた。
頭の中に響くような声だった。
「ずっと待ってた、ここで」
「恨んでるのか」
「……恨み? もうそんなもの超越したよ。長年おまえのことを考えて、考えて、考えていたら、むしろ愛しさすら覚えてきた。だから決めたんだ。この身体におまえを取り込むと」
不思議と驚かなかった。頭のどこかでそうなるような気がしていたから。
観念してまぶたを閉じた。どうあがいても、この罪が消えないことはわかっていたから。
身体が霧散していくのがわかった。粉のように小さな粒になり、魂だけが桜の木に取り込まれていく。
今さら謝ってももう遅い。でも消える間際、必死で声をしぼり出した。
「あの時は……ごめん」
桜の花びらが風に舞う。渦を巻くように、鮮やかに。
そして何事もなかったように、辺りは静まり返った。
広場にはたくさんの桜の木が無言でたたずみ、新たな客を待っている。