悠久の大陸 3

(掲載日:2017年01月26日)

 布の服、布の靴、武器は短剣しかない。
 チュートリアルクエストだからモンスターは弱いはずだが、それでも生まれて初めての戦闘は緊張する。心臓が激しく鼓動を弾ませ、全身の血の気が引き、喉がカラカラになる。短剣を握る手が小刻みに震える。
 ナツキの身体は実体ではなく、電子で構成されたコンピューターの中の存在だ。ナツキの情報を持った、ただのデータだ。脳波がゲーム世界と繋がっているだけの状態だが、それでも普段生きているのと変わらない身体の変化が起きている。仮想空間の中に存在しているが、体感は本物だった。
 先程までやっていた作業系や生産系のチュートリアルクエスト中でも、体感は本物だと思っていたが、戦闘になると一段と実感する。
 冷や汗で額が濡れ、緊張で息苦しくなる。ごくりとむりやりツバを飲み込み、周囲の気配を探る。モンスターの姿はまだ見えない。だが、確実にロックオンはされている。いつどこから飛び出してくるのかと、ひたすら待ち続ける。
「チューッ」
 一匹の巨大なネズミがナツキの目の前に飛び出してきた。一定の距離を保つのがゲーム内ルールなのか、不意打ちで飛びかかってはこなかった。薄暗い物置の中だが、モンスターを取り巻くようにうっすらと光が見え、その姿がちゃんと確認できるようになっている。
 凶悪な顔をした巨大なネズミは、大型犬ほどの大きさだろうか。毛並みはグレーで硬そうだ。正直な気持ち、怖いという感情が先に立った。コントローラーを握って遊ぶRPGでは、一番最初に出てくるモンスターはかわいい姿をしているものが多かった。なんとなくそんな感覚で物置にやってきたのだが、どうやらこのゲームのモンスターはリアルに近い姿になっているらしい。
「チューッ」
 モンスターのネズミが鳴いた。こちらに飛びかかってこようと前足を床に叩きつける。ナツキは焦りながらも短剣を振り上げた。当たった。確実な手応え。
 シューッと霞のようにモンスターのネズミが消えた。呆気なかった。
「え、お、終わり?」
 ナツキは戸惑ったが、ネズミが消えた辺りの地面には、わずかな通貨とアイテムのチーズが落ちていた。ネズミのモンスターからドロップされたものだ。ステータスを確認すると、わずかながら経験値も増えていた。
 チュートリアルクエストの内容を確認すると、どうやら今のと同じネズミを十体ほど倒さねばならないらしい。この物置は狭そうだが、そんなにたくさんのネズミがいるのか。
 ドクンッと空気が変わった。新しいモンスターにロックオンされたのだ。これを十回も繰り返すのか。まだゲームは始まったばかりなのに、ナツキは少々うんざりとした。コントローラーを握って戦うのとはまるで違う疲労感があったからだ。
「チューッ」
 次のネズミが現れた。少し慣れてきたナツキは、大きく深呼吸をした。改めてネズミを真っ向からにらみつける。

 全部で十体のネズミのモンスターを倒すのは簡単だった。チュートリアルクエスト用のモンスターだから、すぐに終わるように作られていたのだろう。相手は実体を持つ動物ではないし、あくまでもゲーム用に作られたデジタルデータでしかないはずなのだが、短剣で斬った感触は本物としか思えず、なんとも後味の悪い気分が拭えなかった。
 モンスターの血が飛び散るわけでもないし、死骸が転がるようなこともないのだが、実際に殺傷をしたような変な気分だ。
 倒したモンスターは霧のように消え、後にはドロップされたアイテムと通貨が転がり落ちるだけだ。わざわざ自分の手で拾わなくても、オート機能が働いて自動的にアイテム欄に追加される。
 左手首の端末に収納されるアイテム欄は、わかりやすく言えばドラえもんの四次元ポケットのようなもので、持てるアイテム数の上限が決まっていない。無限に持てるのだが、かさばることも邪魔になることもない。必要な時に必要なアイテムが取り出せるので、探すのが大変になるようなこともない。
 厳密に言えば初期状態に持てるアイテム数には上限があるのだが、レベルアップまたは課金で、持てるアイテム数が無限に増やせる。
 少量のアイテムしか持っていないナツキは、まだ課金する必要はなさそうだった。今のところ持てるアイテム数は二十個で、ひとつレベルアップするたびに一枠が増え、一回百円を課金するごとに一枠増やせる。千円払えば十枠増やせる計算だ。これを高いと思うか安いと思うかは人による。
 チュートリアルクエストが終わったので、新しいクエストを探さねばなるまい。村人のNPCに話しかければ何かしら仕事をもらえるのだろうが、決まった台詞を話すだけのNPCも多いので、誰に話しかければいいのやらと迷う。
 ふと周囲を見渡せば、ナツキと同じようにゲームを始めたばかりの人たちがあちこちでウロウロしていた。皆、余裕がないのか、他のプレイヤーには目もくれない。
 そんな中、ふと視線を感じて振り返った。村長のNPCの前に立つ男が、じっとナツキを見つめている。
「…………?」
 気まずくて、ナツキはすぐに視線をはずした。見ず知らずの男にじっと見つめられるのは変な感じだ。何かゲームの進行でわからないことでもあるのだろうか。
 美形で背の高い男だった。茶色の髪も肩にかかるほど長く、中世のヨーロッパ風の出で立ちだ。装備が揃っていたので、ゲームを始めたばかりの初心者ではなさそうだった。
 動きやすそうな革の鎧を身にまとい、強そうな太い剣を腰にはいていた。初心者プレイヤーのナツキには用などないはずだ。
「なあ、おまえ名前は?」
「えっ?」
 気づけばすぐ傍に彼はいて、まじまじとナツキの顔を見つめながら口を開いた。
「名前」
「な、名前?」
「あるだろ? 名前」
「な、なつ、ナツキです」
「ななつなつき?」
「ナツキですっ」
 名乗ってからすぐに、ナツキは本名を使ったことを後悔した。顔もそのまま、名前もそのまま。もし目の前の男が同じ大学に通う生徒だったら非常に面倒くさい。
 ゲームを楽しむというのは、現実のしがらみを忘れる意味もあるのだ。辰泰の誘いを断ったのも、現実との関係をゲーム内でも引きずるのが面倒だったからだ。
 しかし目の前の男はナツキを物色するように黙って眺めた後、いきなりピコンと音を立てた。正確には、パーティの誘いの画面が立ち上がったのだ。
「え」
 ナツキは慌てた。目の前には「リュウトさんからパーティの誘いがきています」「YES」「NO」の半透明なパネルが浮いている。
「俺と組むと楽にゲームが進められるけど?」
「……あの、リュウト、さん? どうして俺を?」
「なんとなく、気に入ったから」
「……でも俺、マイペースに地道にゲーム進めたいんですよね。一足飛びとかよりも。リュウトさん強そうだから、簡単に先に進めちゃいそうだし」
「あ、そういうの望んでない系?」
「望んでない系です」
 リュウトは残念そうに、ふっと笑った。
「じゃあ、フレンド登録させて。フレンド登録は三人までって決まってるパーティとは違って無限に登録できるから」
「リュウトさん、パーティは誰とも組んでないんですか?」
「いや、組んだり組まなかったり、いろいろ」
「なんで強そうなのに初心者エリアにいるんですか?」
「初心者しかいない場所だからだよ。新しい友達探そうと思って」
 パーティの誘いのパネルは消えたが、今度は「リュウトさんからフレンドの誘いがきています」「YES」「NO」のパネルが現れた。
 ナツキは迷いつつも指先で「YES」を押した。パネルがピコンと一回点滅し、キラキラと輝く。パネルがシュッと消えると「リュウトさんがフレンドになりました」という合成音声がナツキの脳内に響いた。
 端末のパネルを開くと、確かにフレンド欄にリュウトの名前と顔アイコンがある。
「フレンド登録すると、お互い全然違う場所にいても連絡が取り合えるようになるんだ。パーティほど密接な関係じゃないけど、簡単なメッセージのやりとりぐらいならいつでもできる」
「へえー」
「俺に用があったらいつでも呼んで。わからないことがあれば、なんでも答えるから」
「あ、はい」
「じゃあ俺は自分のレベルに合ったエリアに行くから。頑張って」
「あ、ありがとうございます」
 ナツキは戸惑いつつも去っていくリュウトを見送った。風のように現れ、風のように去られ、いったいなんだったのだと思う。
 改めて端末を開き、リュウトのステータスを眺めてみると、レベル百五十二と書いてある。
「……強すぎだろ」
 素直にパーティを組んでいれば、驚くほどのハイペースで経験値が入り、あっという間に強くなってしまうだろう。それではゲームの醍醐味がない。試行錯誤しながら進んで、地道にモンスターと戦って、少しずつ強くなるほうが絶対に楽しい。
 誘われるままフレンド登録をしたが、今後こちらから声をかける可能性は極めて低かった。そもそも、なんで彼が声をかけてきたのかさえも、よくわからない。
「まあ、いっか」
 ナツキはゲームを再開することにした。手近なNPCの村人に話しかけ、新しいクエストをもらう。そうして地道にゲームを進めていくと、気づいた頃にはレベル五になっていた。
 クエストにはストーリークエストという、ゲーム内でメインに扱われる物語がある。やるもやらないも自由だし、途中で脱線することも可能だ。悠久の大陸は自由度の高いゲームなのである。
 ずっと釣りをしていることも可能だし、ずっと農作業していることもできる。料理の腕を極めたり、音楽の達人になることもできる。戦闘のプロにもなれるし、優秀な賢者になることもできる。その自由度の高さも、このゲームの人気の秘訣なのだ。
 だから本来は、アダルトゾーンを探さなくても充分楽しめるゲームなのである。
 弱い初期モンスターを倒すことにも慣れてきたナツキは、貯まったロンで買い物をすることにした。現在の所持金は八百二十五ロン。まだ強くて高級な武器や防具は買えないが、今よりも少しマシな装備が欲しかった。
 村の中央によろず屋がある。武器も防具もその他の便利な道具もすべてここで売っている。無駄に移動しなくても済むので、一ヶ所でまとめて販売してくれるのはとても助かる。
 現在の武器は短剣。防具は布の服と布の靴だ。木の棒は売っても五ロンでたいした額にはならず、新たに何が買えるだろうかと商品を物色した。

つづく