悠久の大陸 2

(掲載日:2016年12月19日)

 午後の講義も終わり、那月は家路についた。明日は土曜日だから念願の休みだ。ゲームを始めるなら今日からがちょうどいい。土日はどっぷりとゲームに浸るつもりだ。
 那月はマンションで一人暮らしをしている。父は海外を飛び回るビジネスマンで、母は料理教室を開くカリスマ主婦だ。幼い頃から裕福な暮らしをしていた。大学生になり、マンションで一人暮らしをしたいと申し出ると、あっさりとこのマンションを紹介してくれた。とはいえ、実家からは電車で三十分もかからない距離だ。大学から近い場所でという条件で探したので、実家から近いのはたまたまだが。
「よぉーし、遊ぶぞ」
 帰り際に食材も買い込んだ。今日からの三日間、ずっと部屋にこもる予定だ。まるで廃人への入口のようにも思えるが、ゲームに集中しようと思うとどうしてもそうなってしまう。休みの日だけなのだから問題ない。そういうことにしておこう。
 まだ買ったまま箱から出してもいない状態だった。日本で一番有名なゲーム『悠久の大陸』。ゲーム機本体と一緒に購入したゲームソフトだ。
 ゲーム機本体をセッティングして電源を入れてインターネットに繋ぎ、ブルーレイディスクの形をしたソフトを入れると、その中身を本体の中に入っているハードディスクへと自動で書き写す。こうすることでゲーム世界との接続がスムーズになり、ブルーレイディスクを読み込む時間を待つというストレスからも解放される。
 ゲームの容量は大きいが、ハードディスクの容量はもっと大きいので、ゲームソフト一本入れた程度なら支障はない。VRMMOというジャンルのゲームは他にもあるが、だいたいスケールが小さくいまいちだという噂で、この悠久の大陸にほとんどのユーザーが集中しているらしい。
 有名で巨大なスケールのゲームなだけに噂もいろいろ飛び交い、ネット上では裏技や秘密の入口などあることないこと書かれたり情報をまとめられたりしている。中にはもちろんガセ情報も混じっており、もはやどれが本当でどれが嘘なのかもわからなくなっていた。
 その噂のひとつにアダルトゾーンというものがある。興味がないかと言えば嘘になるが、本当にそんなものがあるのかどうかについては半信半疑だ。嘘情報かもしれないという可能性を考慮しつつ、あったらいいなとひっそりとした期待は抱いている。
 しかしこのゲームは本来VRMMOという空間で行うRPGであり、アダルト要素を楽しむようなものではない。変な期待もしすぎるとがっかりしてしまうので、あまり意識はしないようにしようと思う。
 ゲームの中身がハードディスクに書き込まれ、ようやくスタートできる状態となった。那月はドキドキと胸を高鳴らせながら、ベッドに横になり付属のヘッドセットを装着した。このヘッドセットが脳波を読み取り、那月をゲーム世界へといざなってくれるのだ。
 悠久の大陸の初期システムと個人的な保存情報はゲーム機本体に書き込まれるが、ゲーム自体の舞台はインターネットの先にある。なのでインターネットに接続していなければ遊ぶことのできないゲームだった。
 例えばゲーム内で繰り広げられる戦闘や、大空や海や山や、街や城やモンスターやアイテムやNPCなどはゲーム会社が用意したサーバーの中にある。クラウドという大海原のような大量のデータを扱える仕組みを通して、ゲームユーザーはインターネットの海の中に飛び込んで行くのだ。
 実際にはベッドに横たわった状態のまま、脳波でゲームをすることになる。際限なく長時間ゲームを続けると命の危険があるので、最大五時間ほどで強制的にゲームから追い出される仕組みになっている。セーブは自動でやってくれるので問題ない。このタイマーは自分で好きな時間にセットできるが、せっかくの休日なので最小の三十分ではなく、最大の五時間でやることにした。
 あとはただ、眠るように横たわり続けるだけだ。ゲーム内の映像は目ではなく脳で見るので、まぶたは閉ざして全身の力を抜いてリラックスする。脳内に現れる映像がさも目の前で繰り広げられているように見えるので、臨場感はすさまじかった。
 近いもので例えるなら眠っている間に見る夢だろうか。
 自分の意志で夢を見ているような状態だろうか。
 だから何でもありの世界だ。剣を振り回し、魔法を使い、身軽に跳躍する。アイテムは山ほど手に入れても溢れることはないし、怪我をしてもすぐに治る。普段の自分とはまるで違う自分になれるのだ。

 那月は深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。
 今、目の前に広がる光景はスタート画面だ。ゲームが始まる前の状態だ。那月がどうしたいのかは機械が脳波で読み取ってくれる。
 特に何もない広い空間に、那月はぽつんと立っていた。形が定まらない、もやもやとした白く不確かな物体になっていた。空がスクリーンのようになり、画面が映し出されている。
「スタートしますか?」
 声が脳に直接語りかけてきた。合成音声のようだが、なめらかでスムーズな女性の声だ。
「は、はい」
 那月は戸惑いながら返事をした。ピコンと軽やかな電子音が鳴り、スクリーンに映る画面が変化した。
「それではキャラクター作成から始めてください」
 画面の中には那月がいた。そのままの姿で。これがデフォルト状態らしい。違う姿になりたい人は、ここからいろいろカスタマイズしていくのだろう。ここで決定しても、後からでも好きなように容姿はいじれるので、とりあえずこのまま始めてしまう人も多いのかもしれない。
 名前欄には那月と入っていた。本名のままというのは抵抗あるが、これと言って思いつく名前がない。那月はナツキとカタカナにした。
 容姿もカスタマイズしたいが、どう変えたらいいのか思いつかなかった。性別も変えられるらしいのだが、ネカマになるつもりはない。年齢も変更できるが、今のままでいい。さんざん悩んだ結果、ナツキはデフォルトの姿のままで始めることにした。知り合いに出会ったら即座に身バレしてしまいそうだが、変更する箇所が思いつかないのだから仕方がない。このままでまずかったら、後で少しずつ変えていこう。そう決めたナツキはキャラクター作成画面を終わらせることにした。
「これでいいですか?」
 合成音声の女性が問いかけてくる。ナツキはこくりと頷いた。
「はい」
 シュンッと画面が消える音が鳴り、ナツキの全身が一瞬白く光った。一秒も経たないうちに、もやもやと白かったナツキの姿が明確な輪郭を取り戻し、初期装備の、布の服と布の靴を身につけている状態となった。
 武器は木の棒だ。なんともしょぼい。
 木の棒をぶんぶん回しているナツキに、合成音声が話しかけてきた。
「スタート地点はハルクの村の村長前です。基本操作やこの世界の簡単な説明から始まり、チュートリアルが行われます。操作方法やこの世界の解説や地図は手首の端末から見ることもできます。ステータスや所有しているアイテムや装備などもその端末で確認できます。行き詰まったり困った時は端末を見てください。完了していないクエストやミッションの一覧が表示されます」
 ナツキはいつの間にか左手首についていた、まるで腕時計のような端末をたどたどしく操作してみた。手首の上にホログラムのパネルのようなものが飛び出した。そのパネルに実態はなく、少し半透明で透けている。なのに指で操作しようとすると触れた感触があり、画面を押した感覚がある。
 現在所有しているアイテムは、装備している布の服と布の靴と木の棒だけらしい。なんとも心もとない。
 戦闘系や魔法系やその他技術のスキル欄はあるものの、すべての数値がゼロで、完全に何も育っていない状態だった。基本的には戦闘やその他作業をすることで経験値をため、スキルアップしていく仕組みである。RPGなのでレベルという概念もあり、ナツキは現在レベル1だった。所有金額はゼロロンだ。本当に何もない。ロンというのはこのゲーム内だけで通用する通貨の単位だ。
 普通ならこの先のチュートリアルで初期装備が整うはずだ。少額のロンと回復アイテムと。気前のいいゲームなら武器や防具もくれるはず。
 ゲーム機本体とゲームソフトで散財したが、実はこのゲームはアイテム課金制でもあり、この先有利に進めたかったら課金する必要がある。パワーアップするためにガーディアンという味方モンスターを閉じ込めた聖石(せいせき)を身につけるのだが、強いガーディアンが欲しかったら有料のガチャを回さねばならないのだ。
 その他にも有料アイテムはあるが、今は用がないのでとりあえず置いておく。
 課金する人がいるからゲーム世界も維持できるし広がるのであり、必要な存在なのはわかっているが、ゲーム機本体とゲームソフトだけでも結構な金額だったこともあり、しばらく課金はせずに進めていこうとナツキは心に誓った。
「では、移動しますか?」
 合成音声に問いかけられ、ナツキは「はい」と返事をした。パアアッと目の前が光り輝き、別の場所へと移動したのがわかった。
 気づけば目の前には見知らぬ村があり、初対面の村長と強制的に向き合うことになった。
 村長はその肩書にふさわしい知的な老人で、簡単な操作方法を説明し、チュートリアルクエストを渡してきた。NPCなので決められたこと以外は話さない。彼はプログラミングによって生まれた、ゲームの中でしか生きられない人間なのだ。
 渡されたクエストをクリアすれば、報酬として経験値やアイテムなどがもらえるようになっている。クエストは自動的に左手首の端末に収納され、いつでも見たい時に確認できるようになった。
 このチュートリアルクエストをこなすことで、操作のコツを身につけられるようになっているのだ。
 まず最初に村のNPCに声をかけ、仕事を受ける。荷物を運ぶだけという簡単な仕事だ。次のクエストはまた違うNPCに声をかけ、買い物を代行する仕事を受ける。さらに次のクエストは裁縫を手伝う仕事だった。スケールの大きいゲームなので、戦闘以外にも物作りをしたり合成したり、料理を作ったり釣りをしたり、農作業をしたり貿易をしたり、楽器を弾いたり歌を歌ったり、必要な物を採取したりなどなど、あらゆることができるし、それぞれの経験値が育つようになっている。
 初めのうちはできることが多すぎて目が回りそうだが、慣れればそうでもないのだろう。なので選べる職業の数も多い。だが一番最初は「村人」しか選べない。
 最初の設定は村人なのだ。だから、クエストの内容も村人の手伝いばかりなのだろう。
 それらをクリアし、経験値と通貨の他に薬草とヒットポイント回復ポーションとマジックポイント回復ポーションと短剣をもらった。五つ目のクエストでようやくモンスターとの戦闘がありそうだった。
「物置に何かいるみたいなんです。退治してもらえますか?」
 NPCからそう言われ、村の奥にある物置へと向かった。もらったばかりの短剣は装備済みだ。まったく使わなかった木の棒は最初からいらなかったんじゃないかと思ったが、チュートリアルクエストをやらない人がきっと使うのだろう。
 物置は真っ暗で気味が悪かった。雑然と物が置いてあり埃っぽい。チューチューとネズミの鳴き声が聞こえてきて、もしかしてこれかと耳をそばだてた。
 ネズミの感知範囲に入ったらしく、いきなりロックオンされた。取り巻く空気が変わる。初めてのことなので、ナツキは思わず慌てた。コントローラーで操作するようなゲームでは焦らないのだが、VRMMOでは戦うのは自分自身なのだ。

つづく